F1日本GPでフリー走行した山本尚貴の可能性とは?
年に一度のF1日本GPが終わって数週間が経過した。三重県の鈴鹿サーキットで行われた祭典は異常な盛り上がりを見せていた。台風19号が接近する中で開催され、一部日程に変更が出たものの、主催者およびレース関係者の努力と観客の理解によって無事閉幕した。 今年の日本GPは例年以上の観客で賑わった。サーキット側の発表では、金曜日は約3万3000人、日曜日は8万9000人が訪れた。これは昨年に比べて金曜日が2000人増(約6.5%増)、日曜日も8000人増(9.9%増)という数字だった。日曜日の鈴鹿は台風一過の晴天に恵まれたものの、台風19号の被害と影響が広範囲に及んでいたことを考えると、チケットを購入しながらも観戦を見合わせざるを得なかったファンが少なくなかったことは、想像に難くない。 実際、関係者によれば、「今年のチケットの売れ行きは2018年より約30%増」だったというから、日曜日には10万人以上が詰めかけていても不思議ではなかった。 なぜ日本GPは盛り上がったのか? 多くの観客が訪れた理由は、日本のレースファンにとって特別な週末だったからだ。 そのひとつが、ホンダへの期待だ。今年からレッドブルとパートナーを組んでレッドブル・ホンダとして初めて母国グランプリに臨んだホンダは、すでに第9戦オーストリアGPで13年ぶりの優勝を果たし、その後、第11戦ドイツGPでも今シーズン2勝目を挙げていたため、多くのファンから鈴鹿での優勝を期待されていた。もし、ホンダが日本GPで優勝すれば、1991年のゲルハルト・ベルガー(マクラーレン・ホンダ)以来、28年ぶりの母国優勝となるからだ。 しかし、結果はスタートで好ダッシュを決めて、2コーナーまでに3番手までポジションを上げていたマックス・フェルスタッペンが、シャルル・ルクレール(フェラーリ)に絡まれ(レース後の審議委員会で、接触の責任はルクレールにあったと判断)、早々にリタイア。レッドブル・ホンダはチームメートのアレクサンダー・アルボンの4位が最高位という結果に終わった。もし、フェルスタッペンが事故に見舞われていなければ、少なくとも2004年のジェンソン・バトン(BARホンダ)以来の表彰台は狙えていただけに残念な一戦となった。 ただし、その伏線となったのはレース前に行われた予選で、ライバルであるメルセデスとフェラーリに対して遅れをとり、フェルスタッペンが5番手からスタートを切っていたことも忘れてはならない。 今後、ホンダはレッドブルとともに、さらにチーム力を向上させ、来年の日本GPでは多くのファンの前で29年ぶりの母国グランプリ優勝を披露してほしい。 もうひとつの注目は、日本人ドライバーの存在にあった。 山本尚貴(31)が金曜日のフリー走行でトロロッソのF1マシンを走行させた。日本GPで日本人ドライバーがF1マシンを走らせるのは、2014年の小林可夢偉(ケータハム)以来、5年ぶりのこと。これは1987年に中嶋悟が日本GPに参戦して以降、最も長いブランクである。しかも、山本尚貴のF1走行は金曜日だけだったので、レースへの参加となると、そのブランクは継続中となる。 鈴鹿で初めてF1マシンを走らせた山本尚貴のパフォーマンスをトロロッソのチーム代表であるフランツ・トストは「フィードバックが的確で、本当にF1マシンを走らせるのは、これが初めてなのかと、驚きながら見ていた。素晴らしい第一歩を刻んだと思う」と高く評価していた。しかし、今後に関しては「未定」だという。 すでに山本尚貴はF1走行に必要なスーパーライセンスを発給されているため、3年以内なら来年以降もチャンスがあれば、F1を走行することは可能だ。F1マシンを走らせるのは、レギュラードライバーだけでなく、レギュラードライバーに不測の事態が訪れた際の代役としてF1マシンを走らせるリザーブドライバーや、金曜日のフリー走行だけを走らせるフライデードライバー、そしてテストを担当するテストドライバーも含まれる。 フライデードライバーとして母国グランプリでのF1マシン初走行いう重責を全うした山本尚貴。しかし、F1のレースドライバーになるという夢は、まだ現在進行形である。 (文責・尾張正博/モータージャーナリスト)