國村隼が語る『芋たこなんきん』と「朝ドラ」の魅力、韓国・アメリカの映画作りの現場での挑戦
――作り手と同じ目線になることで、お芝居も変わっていきますか。 國村 変わるというより、監督のビジョンについて話し合うことで、お互いに何をどうしたいか、どうすれば良いかがより明確になるんですね。 監督の指示でやる日本の撮り方だと、お互い微妙なギャップがあるんですけれども、コミュニケーションをとっていくと、ギャップが埋まって、ビジョンが明確になっていく。被写体として撮られる側が、撮る側の頭の中と共通項を持っているということですから。 そこはいつもそうあろうと現場で努めていますし、それが役者の一番大きな仕事かもしれないと思います。そこが舞台での芝居と映像での芝居の大きな違いかもしれません。 ◆若手の俳優から学ぶことも… ――國村さんは国内作品では近年、若い人を導くような役割も増えていますが、そういった変化についてどうとらえていますか。 國村 私もそういう年齢になったんやな、と(笑)。ただ、相談やないですけど、目黒蓮君と『トリリオンゲーム』(TBS系)をやったとき、なんか知らんずっと僕のほう見てはって、つつつと寄ってきて「どうしたら國村さんみたいなお芝居できますか」なんて言うんですね。 目黒くんは非常にナチュラルな人で、飾ったりもしないし、芝居に関しても非常に真摯で一生懸命やるタイプで。だからそんなことを聞きに来たりもしたんでしょうけど。彼のやっていた(天王寺陽という)キャラクターは非常に難しいキャラクターで、ちょっと間違うとチンピラみたいになっちゃうんですね。 セリフもだいぶやんちゃに書いてあるけど、それが野卑(やひ)に見えたら失敗すると思うよ、そこだけ気をつけたらあとは大丈夫ちゃう? と言ったら、安心した顔をしていました。少しは役に立てたかな(笑)。 ――逆に國村さんが若手の方から刺激を受けるようなこともありますか。 國村 「この年齢のとき、自分はボーッとしてたのに、こんなことできるんや。この人すごいな」みたいな人に現場で会うことはあって、やっぱり嬉しいですね。 相手を感じることが仕事や、って思い始めてから、その相手がこっちのことを感じようとしてくれてる人やと、お互い相乗効果があり共同作業として楽しめるんですよ。 僕らの仕事って空気を作ることやと思うんです。映像はワンテイクの中の空気をどこまでちゃんと作れるかだから、それにはどうしたらいいか考えると、自分なりに相手や状況を感じることやし、感じたら自然とリアクションが出るから。お互いに感じているものがどう結びつくか、どんな関係性を持つかで空気ができあがっていくし、それができたときはただ楽しいですね。 ――感じ合う中で、國村さんがビックリするようなものを提示してくる方もいますか。 國村 いますね。びっくりすると同時に嬉しい。当然リアクションが出ますから、自分もそれに乗っけてもらって面白いパフォーマンスしているわけですよ。 若い人にもいっぱいいますがたとえば草彅さんなんかは当然年齢は僕より下ですけど、すごい集中力を持った方で、いっぺん集中力が切れたら出直したいという芝居は、一緒にやってるとすごく面白いです。 彼、集中力がすごいから、すごいテンションできますからね(笑)。『碁盤斬り』のときは、本気で怖いくらいで、(國村の演じた)源兵衛さんも引いていますから。