國村隼が語る『芋たこなんきん』と「朝ドラ」の魅力、韓国・アメリカの映画作りの現場での挑戦
――放送当時から朝ドラのコアなファンの間では名作として知られていましたが、16年を経たBS再放送では「芋たこなんきん」や「健次郎さん」などの名前が次々にトレンド入りする人気となりました。むしろ16年経ってようやく正しい評価を得た、時代が追いついてきたみたいな感じはありましたか。 國村 そう思っていただけるとありがたいですね。朝ドラという枠で、明確な意図のもとに作られた画期的な作品だったことを感じてくださっていたお客さんがいて、そこから再放送がまたあんなに盛り上がったわけですから。 15分毎朝やる朝ドラという独特の枠だからこそ、ある意味他でできないことができる、こんなものを作りたいという明確なビジョン、意図を持って作ると、面白いもんができるなと『虎に翼』を観ながら確信しましたし、僕らは『芋たこ』をそうしたいと思ってやっていました。 ◆韓国映画『哭声/コクソン』…外国人として初めて青龍映画賞の男優助演賞・人気スター賞を受賞 ――國村さんは国内外で活躍されていますが、仕事選びの基準はありますか。 國村 僕の個人的な思いでいうと、例えばこの俳優さんと一緒にやってみたい、この監督と仕事してみたいというのも、1つ要素としてあります。もちろん自分にオファーしてくれるキャラクターや役割がそのお話の中のどういうものであるかということは重要ですが。 ――これまでスケジュールなど厳しい条件下でも「この人と仕事してみたい」という思いで受けたのはどんな作品でしたか。 國村 (韓国映画の)『哭声/コクソン』(’16年)ですかね。ナ・ホンジンという監督とは初めてでしたけど、心底惚れました。すごいなと思いました。ただ同時に「この映画観に来るお客さんっていてるんだろうか」と(笑)。 ――という不安の中、韓国では観客動員700万人の大ヒットとなりましたね。國村さんが外国人として初めて青龍映画賞の男優助演賞と併せて人気スター賞を受賞した作品でもありました。 國村 あれをやったおかげで、いろんな人と知り合うことができましたし、今に至るまでいろんな作品で一緒にやろうと思える仲間もできました。そういう意味では世界を広げてくれた作品ですね。 ――日本の映画作りと全然違うところもありましたか。 國村 大きくは、日本の場合、役者と撮り手は現場であまりディスカッションしたりコミュニケーションをとったりしないんですけど、韓国にしろアメリカにしろ、今はデジタルなので、今撮ったカットをその場ですぐ観られるんですね。 だから、監督は必ず言うんです、「一緒に観てくれ」と。「これの前と後にこれ撮ろうと思うんだけど、ここからこう入ってここにつなげてこうしたい。どう思う?」と聞かれたり。日本の場合、役者は監督の希望や指示に応じてやるけど、韓国やアメリカなどはそうじゃなくて、撮る側撮られる側が同じ目線で同じものを見て、同じ感覚を共有して一緒に作るんです。