<ドナルド・キーンが描いた日本――生誕100年に>/58 東北の大震災、そして日本人に
2011年3月11日、東日本大震災が発生した。この時、ドナルド・キーンさんはニューヨークにいた。 2006年に自伝を出して以降、キーンさんが身のまわりのことを英語で書いた文章は全く残っていない。インタビューや講演は日本語だったし、日本向けの原稿もすべて日本語で書いている。ただ、震災時の心の動きは、日本語の聞き書きの形で残っている。ここに引用してみよう――。 私はその時ニューヨークにいて、翌四月に引退を控えて最後の学期の教鞭(きょうべん)を執っているところだった。日夜テレビに映る恐ろしい光景にたじろぐばかりだった。津波の凝々(ぎょうぎょう)しい黒い水が、行く手にあるすべてをなぎ倒して進む有り様を、決して忘れることはないだろう。この大災害の少しあと、私はコロンビア大学での最終講義に先立ち、NHKテレビのインタビューを受けた。五十六年に及んだ教壇での日々についての取材が終わりにさしかかった頃、私は日本に永住しようと考えていることを気軽に口にした。長い間そうしようと考えてきたが、教職を離れることになったので、今ならそれも可能だろう、と。しかしながら、東北の災害の後では、私の決断ははるかに重大な意味を持つことになった。私は結果として、他の外国人が必死で日本から去ろうとしているその時に、自分は日本へ行くと言ったのだった。私の短い一言は大きく取り上げられ、勇気を与えてくれてありがとうと感謝を表す手紙が、日本中から舞い込み始めた。ほとんどは面識のない人々からである。 私は返答に困った。自分の決断はきわめて個人的なもので、勇気を与えるつもりではなかった、とは言えなくなったのだ。自分が英雄でないのは百も承知だが、あれほどの苦難を経た人たちに自分が勇気を与えたのかと思うと、私の方が深い感動を覚えた。自分にとって日本人がどれほどの存在であるかをそれまで以上に思い知り、戦時中、作家の高見順が日記に残した言葉が心によみがえった――「私はこうした人々と共に生き、共に死にたいと思った」。 「ドナルド・キーン著作集 第十巻 自叙伝 決定版」 大学を退職すれば、官舎に住めない。キーンさんは以前から日本に永住することを考え、私も含め周囲に漏らしていたので、「国籍取得へ」のニュースに驚きはなかった。しかし、世間には誤解され、8月末に日本へ戻ったときには時代の寵児(ちょうじ)のように注目された。再び、同じ文章から引く――。 成田空港に到着すると同時に、二群の報道陣がインタビューをしようと待ち構えていると告げられた。まずは成田空港に常駐している記者の一団、もう一つの集団は私の取材のためだけに来た人々である。これが果てしなく続くインタビューの始まりだった。生涯で初めて有名人となった私に、朝八時から深夜二時まで電話は休みなく鳴りつづけた。まるですべての人々が私に何かをしてほしいと思っているかのようだった。長いこと会っていなかった友人たちから、彼らの関わる大学、文化団体、企業などで講演をするよう頼まれた。過去に親切にしてもらった人に断りを言うのは難しく、引き受けることになるのがほとんどで、手帳には余白すらない有り様だった。 「ドナルド・キーン著作集 第十巻 自叙伝 決定版」 2012年3月に国籍を取得したことで、騒ぎはさらに大きくなった。その前から仕事や生活を支え、国籍取得後に養子となった文楽の三味線奏者・誠己さんは「父は『まるで仕事にならない』とぼやいていました。全く自分の勉強の時間が取れないことを、すごく残念がっていましたね」と当時を振り返る。 とはいえ、出版物が増え、絶版になっていた書籍も再版された。この稿で取り上げた、全15巻と別巻で構成された全集「ドナルド・キーン著作集」(新潮社)も好評だった。テレビでもおなじみの顔となった。それまでキーンさんの名前しか知らなかったような人が、その足跡を手軽にたどり、日本文化を世界に広げた功績を知ることとなった。震災の奇貨というべき出来事だった。 =次回は6月4日にアップ予定 ◇ 日本文学者のドナルド・キーンさん(1922年生まれ)は、18歳の時に「The Tale of Genji(源氏物語)」と出会い、96歳で亡くなるまで、日本の文学や文化の魅力を伝えることに没頭し、膨大な研究成果を発表し続けた。日本の「大恩人」はどんな時代を生き、私たちに何を伝え、未来に何を残そうとしたのか。本人の英文や、2022年4月に創刊100年を迎えた英字「The Mainichi」の紙面とともに、この1世紀の時空を旅する。 (文・森忠彦=毎日新聞記者、ドナルド・キーン記念財団理事。キーンさんの原文は同財団から掲載の許可を得ています。財団HP=https://www.donaldkeene.org/) ◇ Donald Keene(ドナルド・キーン) 1922年6月18日、米ニューヨーク市ブルックリン地区生まれ。日本文学研究者。コロンビア大学名誉教授。コロンビア大学大学院、ケンブリッジ大学研究員を経て53年から京都大学大学院に留学。谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫などの文人と交流した。半世紀以上にわたって日米を行き来しながら、日本の文学、文化の研究を続け、その魅力を英文で世界へと発信した。2008年には文化勲章を受章。11年の東日本大震災の直後に、日本国籍を取得。雅号は「鬼怒鳴門」。2019年2月24日、96歳で永眠。主な著書に「日本文学の歴史」「百代の過客」「Emperor of Japan: Meiji and His World, 1852-1912」(邦訳「明治天皇」)など。