「人を殺している実感」死刑執行に関わった元刑務官の苦悩 矯正教育との矛盾
苦痛伴う刑罰は「国家の矛盾」 識者は批判
関西大教授の永田憲史さん(48)は「生命を奪うこと以外、死刑囚への負担はできる限り小さくすべき」と、現在の運用を批判する。 永田さんは死刑存置の立場だが、死刑制度には「国家は人を殺すなと言いつつ、刑罰として殺すという矛盾がある」と指摘する。その矛盾を小さくするため、恐怖や苦痛は最小限にし、生命を奪うことにとどめるべきだとの考えだ。 「被害者を苦しめた死刑囚に恐怖や苦痛を与えるのは当然、という意見はもっともです。しかし、それを国家が刑罰として行うことには賛成できません」 米国では、絶命までの苦痛を少なくするため、執行方法が絞首刑から電気椅子、薬物注射へと変わっていった。永田さんは「日本は米国の2周か、それ以上遅れています」と評した。
【取材後記】
絞首のロープがある執行室には、複数のボタンが並ぶ部屋がある。死刑囚の首にロープがかけられると幹部職員が合図を送り、待機していた刑務官が自分の前にあるボタンを押す。すると踏み板が開き、死刑囚の体は地下に落下していく。踏み板につながっているボタンは1つしかなく、複数の刑務官が同時にボタンを押すことで、自分が命を奪ったのではないかという精神的負担を緩和させる狙いがあるという。 しかし、執行に立ち会ったことのある元刑務官は「ボタンを押した刑務官の全員が、〝自分では〟という精神的な負担を抱えることになる」と話す。別の元刑務官は「刑務官は死刑執行を命令されると、拒否することができない。職務として当然のことと考える」と言うが、命を奪う行為に関わることが、心に重くのしかかることは想像に難くない。死刑執行に立ち会った野口善国さんが、その経験を「一種のトラウマ」と述べていたことが印象的だった。 死刑囚を収容する拘置所の中では、死刑囚が直前までいつ訪れるかわからない執行に神経をとがらせ、刑務官は命令を受ければ、死刑囚の命を絶つ作業に関わらなくてはならなくなる。死刑判決の先には、死刑囚が国家による強制的な死を迎えるまでの、さまざまな場面がある。死刑の是非を議論する前に、そうした現実に目を向ける必要があるのではないだろうか。 ※この記事は、共同通信とYahoo!ニュースによる共同連携企画です。