松井秀喜“4球団競合ドラフト”のウラ側で…指名漏れした「星稜高のエース」は何者だった? 「『恥ずかしい』が一番」「監督にも挨拶せずに…」
進路は「大学進学」だったはずが…?
この時点で山口は、大学に進学するつもりでいた。実際に複数校から声がかかっており、秋の山形国体で優勝した直後には、報道陣を前に進路を表明していたほどだった。 そこには「4年後の成長次第でプロに」という狙いもあったが、それよりも将来的に高校野球の指導者になることも視野に入れ、教員免許の取得を考えていたという。そのなかで進学が濃厚とされていたのが立命館大だった。 「松井みたいなスター選手ならば高校からプロを目指そうと思いますけど、自分はそうじゃなかったんで。そのときは『松井と違う道を歩むんやろうな』と。それが、急にプロの話が湧いてくるっていうことになって」 山口は完成度の高いピッチャーだった。 左腕から繰り出されるストレートの最速は130キロ台後半を計測。カーブ、シュート、フォークと変化球も多彩に操り、ボール先行のカウントであっても各球種をコースにしっかりと決め切るだけの度胸もあった。 そんな山口をプロもマークしており、次第に学校や親から勧められるようになっていた。彼らから話を聞くと、松井の指名に意欲的だった中日が興味を示してくれており、他にも獲得を検討する球団があったのだという。 「当時はドラフトの結果を待ってくれるような大学はなくて天秤にかけることができませんでしたから、気持ちは揺れましたよ。でも、最終的には『自分がプロに行くことで親とか身内が喜んでくれるなら』と」 山口は大学進学から一転、プロ行きを表明する。ドラフト会議の10日前の決断だった。
運命のドラフト会議…そこで別れた「明暗」
「運命の1日」 そう呼ばれるドラフト当日の11月21日こそ、山口にとってもうひとつの痛恨を刻む日となってしまった。 その日、高校通算60ホームランの「目玉選手」である松井が、自宅を出るところから報道陣に密着されていたのに対し、山口はいつもと同じように電車で通学した。 土曜日の授業が終わった昼過ぎ。阪神、中日、ダイエーとの競合の末に「巨人が1位で松井の交渉権を獲得した」と一報が届くと、一気に校内が慌ただしくなる。クラスは違うが、表情をこわばらせながら教室から会見場へと向かう松井の姿を山口は捉えていた。 記者会見が終わると、約150名の報道陣がグラウンドで松井の記念撮影をするため一斉に動き出す。“主役”が後輩たちに胴上げされ、担ぎ上げられる。しかし、その場にいた3年生は松井ひとりだった。 「多分、他の3年生も自分に気を遣ってくれていたんじゃないですかね。松井も『山口が指名されるまで待ちたい』って言ってくれていたみたいだったんで」 その頃、山口は教室にいた。 野球部の松本や北村宣能をはじめとする親しいクラスメートが、自分と歓喜の瞬間を分かち合おうと下校時間が過ぎても待ってくれていた。 しかし、なかなか「山口哲治」が呼ばれない。2位……3位……4位……会議が淡々と進行していく。時計の針は5時を指そうとしていたと思う。11月の夕刻の空は、黄昏に浸る間も与えず夜の帳を降ろす。山口の心もすっかり暗くなっていた。 もう、ないな――。 ドラフト会議が行われる新高輪プリンスホテルで5位指名が始まる頃、山口が席を立つ。 「すまんかったな。ここまで残ってくれてありがとう。俺、帰るわ」 松本たちに言葉を絞り出し、教室をあとにした山口は、校舎内の公衆電話で自宅にいる父親に迎えに来るよう頼んだ。 「さすがにその日は、恥ずかしくて電車に乗って帰れんかったですね。ドラフトの指名から漏れたわけですから」 150人もの報道陣が星稜に詰めかけながら、エースの山口は誰からも取材をされることはなかった。彼らは松井にご執心なことはわかっていたし、なにより声をかけてほしくなかった。それほど、ドラフトで自分の名前を呼ばれなかったショックが大きかった。 山口は、松井どころか監督の山下智茂にすら挨拶せず、ひとり校舎をあとにした。 巨人の1位と指名漏れ。 天国と地獄。 残酷な運命の1日を味わわされた山口が、静かに口を開く。 「高校生だから、やっぱり『恥ずかしい』っていう気持ちが大きかったんですよ。甲子園に出て注目されたこともあって、町を歩いていると声をかけられたり、たまに人だかりができたりって経験をさせてもらっていただけに、余計に人前に出たくなくて。最初からプロ志望を表明していても恥ずかしかっただろうなと思うなか、大学に行くのをやめて表明しておいてってなるとなおさらですよね」 今にして思えば、92年はバルセロナオリンピックが開催されたこともあり、ヤクルト1位の伊藤智仁など多くの即戦力選手が指名された影響も否定できない。
「ドラフトってまさに『運命』なんですよ」
それでも山口は、本来の進むべき道を蹴ってまで挑戦した末の結果を受け入れる。 「ドラフトってまさに『運命』なんですよね。だから今も、指名された人より漏れちゃった人のほうを気にします。『ドラフトにかからんくて、大丈夫かな? 』とか。それって、経験した人にしかわからないですから」 そこには、みじめさや虚しさを内包させた「18歳の山口哲治」を大事そうに取り出して話す、50歳の山口哲治がいた。 <後編につづく>
(「野球クロスロード」田口元義 = 文)
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