松井秀喜“4球団競合ドラフト”のウラ側で…指名漏れした「星稜高のエース」は何者だった? 「『恥ずかしい』が一番」「監督にも挨拶せずに…」
星稜高の松井秀喜に対する甲子園での「5打席連続敬遠」が話題となった1992年。その年のドラフト、実は同校はドラ1候補の松井以外に、エースだった山口哲治もプロ志望を表明していた。松井には4球団が競合した一方で、山口の名は最後まで呼ばれなかった。弱冠18歳で別れた明と暗――では、その後の山口の野球人生はどんなものだったのだろうか。《NumberWebインタビュー全2回の1回目/つづきを読む》 【貴重写真】「これ、ホントに18歳?」“貫禄ありすぎ”な高校時代の松井秀喜…広末涼子をエスコート&同期会での卓球シーンも。松井と同期のエース「まさかのドラフト指名漏れ」山口さんの高校時代と現在も見る(30枚超) 濃密なる高校3年生の記憶。 世間からどれだけ過去を美化されようと、本人からすれば必ずしもそのように清算できるものではない。 1992年。山口哲治は2度の痛恨を味わっている。最初は8月16日だった。 その日、甲子園球場は揺れていた。
あの「5打席連続敬遠」試合の星稜のエース
ゴジラと呼ばれる怪物スラッガーが、ネクストバッターズサークルで静かに座している。 3年夏の甲子園を迎えた時点で通算59本のホームラン。プロのスカウトから熱視線を送られる星稜の4番・松井秀喜は、この試合でバットを振ることを許されていなかった。 優勝候補と呼ばれていた星稜は、明徳義塾を相手に苦しんでいた。主砲の松井が、第1打席から外角に大きく外れる敬遠気味のフォアボールで勝負を避けられている。1年生の秋からエースとなり、松井と両輪としてチームを支えてきた山口もゲーム序盤で3失点と、ピッチングの流れを掴めずにいた。 「相手は最初から不気味な感じでした。だから、こっちも手探りで投げていたら、あれよ、あれよという間に点を取られてしまって。でも、冷静は冷静やったんですよ。松井が歩かされるのは特別なことではなかったし、最初のほうは普通のフォアボールくらいにしか思っていなくて。でも、それが続いたことによって後ろを打つバッターが固くなってしまったんでしょうね。だんだん追い詰められて」 2-3と1点を追う9回表もあっという間に2アウトとなり、3番バッターの山口に打席が巡ってきた。あとひとり――この窮地においても、山口は落ち着いていたという。 バッターボックスに入る直前、学校ではクラスメートで仲の良い松本哲裕が、ファーストコーチャーズボックスから駆け寄ってきた。 「絶対に打てよ!」 その目は、少し潤んでいたように思う。ネクストバッターズサークルをちらりと見やると、松井がそれまでの4打席と同じようにじっと自分の出番を待っている。 「ここで終わったらダメだよな。松井まで絶対に回さないといけない」 2球目。高めストレートを左中間に弾き返して三塁ベースまで到達した山口が、全身を使ってガッツポーズする。 勝負! 勝負! 勝負! 甲子園が唸る。だが、マウンドのピッチャーから投じられるボールは、それまでと同じ軌道で松井の横を4度、通過していった。 帰れ! 帰れ! 帰れ! 甲子園が明徳義塾にシュプレヒコールを浴びせる。三塁側スタンドからはメガホンやゴミがグラウンドに放り投げられる。 およそ3分の中断の間、山口は体をこわばらせている5番の月岩信成に「初球から振れ!」と、大声で届けていた。 その松井の後を打つ月岩がサードゴロに倒れ、星稜は負けた。明徳義塾の校歌が流れると、甲子園球場に再び「帰れコール」が轟く。それでもなお、山口にはまだ「負けた」という認識が脳にインプットされていなかった。 翌日の新聞で<松井5打席連続敬遠>の強烈な見出しとともに星稜が敗れたことが大々的に報じられると、ようやく気持ちを整理することができ、次の目標を見据えた。
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