ノーベル平和賞の瞬間に立ち会った被爆4世の女子高校生、オスロで同世代に語る…「継承の意思表明」
「核廃絶なんてできるわけない」「きれいごとだ」……。心ない批判を浴び、落ち込むこともある。それでも、「被爆者の代わりに若い世代が行動しなければ、平和な世界は保たれない」と気持ちを奮い立たせる。
平和賞受賞が決まった10月11日夜、広島市役所であった代表委員の箕牧(みまき)智之さん(82)の記者会見に同席した。「世界が注目する被爆者が隣にいて、写真や映像が繰り返し報道された。社会とのつながりを実感して、身が引き締まった」。オスロへの派遣が決まり、曽祖父母の手記を何度も読み返した。生まれる前に亡くなった2人の人柄を祖父母から聞き、原稿をまとめた。
被爆者の平均年齢は85歳を超えた。ノーベル賞委員会は授賞理由の中で、〈日本の新たな世代が被爆者の経験と思いを語り継いでいる〉と言及した。
甲斐さんは「体験がなくても、批判を受けても、若者がオスロで証言する姿を示すことが『継承』への意思表明になる。被爆者や国際社会の期待に応える活動を続けたい」と誓う。
◆高校生平和大使=インドなどの核実験を受け、1998年に長崎の市民団体が国連に高校生2人を派遣して核兵器の廃絶を訴えたのが始まり。これまでに全国公募で450人以上が選ばれた。各地で集めた核廃絶を願う署名を毎年国連に届けており、累計で約270万筆に上る。
「お前ならできる」長崎の祖父激励
長崎県立長崎東高2年の津田凜さん(16)は被爆3世だ。3歳だった祖父の岩崎強さん(82)は、長崎市内の自宅近くの川で遊んでいる時に被爆した。祖父は津田さんの幼い頃から入退院を繰り返し、今も胃や肝臓などにがんを併発している。
病気がちな体をおして、津田さんの幼い頃から共働きの両親に代わって、おむつを替え、保育園の迎えをしてくれた「大好きなじいじ」。姿を近くで見るうち、「79年たった今も被害が続く、核兵器の恐ろしさを広く伝えなければならない」との思いが強まった。
今年6月に平和大使になると、祖父は「お前ならできるけん」と励ましてくれた。しかし、原爆の話を聞くと、「あんま覚えてないけんなあ」と切なそうに語る。そんな祖父の代わりにも頑張らなければとの思いに駆られている。
授賞理由を聞き、「平和賞はゴールではなく、被爆者たちの活動をどう受け継いでいくかのスタート」と責任感が湧いた。出前授業では祖父を思い、受賞の喜びの裏にあるたくさんの苦労を伝えたい。「自分たちが平和な世界をつくっていかなければならない」。その一歩としたい。(広島総局 中安瞳)