震災に襲われた能登半島、それでも「同人誌」はまた作られた…石川県内唯一の「同人誌印刷所」で起きたこと
それは「水」だ。同社が得意とするオフセット印刷は水とインクの反発を利用するため、きれいな水が大量に必要。「ずっと断水で飲み水が配給されている状況で、印刷のために水がほしいなんて言えませんでした」
1月7日に大阪で大きな即売会があり、同社も全国から注文を受けていたが、納品不可能になった。「でも、全国の同業者ができる限り印刷を肩代わりしてくださって。この業界は横のつながりが強いんです」
何とか水を確保し、営業再開にこぎ着けたのは4月1日だった。「絶対スズさんで印刷したい」「いつまでも待ちます」という同人作家たちの声に励まされたことも大きい。「それだけのものが、こんな能登半島北端の印刷所にあるのかな?って不思議に思うんですけど」
コミケをきっかけに社名をカタカナに
旧社名は「珠洲(すず)謄写堂(とうしゃどう)」。傷病軍人だった真由美さんの祖父が戦後始めたガリ版刷りの家内会社だった。父の英明さん(76)が2代目を継ぎ、1980年代に大きな転機が訪れる。「近所の女の子が『描いた漫画を本にしてほしい』って原稿を持ってきたんです。やったことないけど父は引き受けた。一人でクルマを運転し、東京まで段ボール箱を納品しに行ったそうです」
そこはコミックマーケットの晴海会場だった。英明さんはその活気に驚き、他の印刷所のチラシを見て「ウチならもっと安くできる」と思った。社名をカタカナにし、本格的に同人誌の受注を始めた。「キャプテン翼」の二次創作ブームで同人誌市場が急拡大し始めた頃だ。
「小学生の頃、父が運転する大型バスで晴海に連れていかれたこともあります。段ボール箱いっぱいのバスの中で寝泊まりしたんですよ。能登人はお祭り好きだから、父はコミケの祝祭性にはまったんだと思います」
「応援ノート」は「私たちの同人誌」
「スズトウは地元の誇り」と紅玉さんは語る。「マットPP(フィルム加工の一種)の美しさは絶品。あのしっとりした仕上げは他でマネできません」