「虎に翼」桂場役・松山ケンイチが“団子”に込めた思いとは?
――主演の伊藤さんをどんな俳優だと思ってお芝居されていますか? 「沙莉ちゃんは電池切れみたいな状態が全くないんです。僕は大河ドラマ(2012年/「平清盛」)で主演を務めた時に、電池切れになって役の方向性が迷子になり、修正することすらも考えられなくなる状態を何度か経験したのですが、沙莉ちゃんを見ていると迷いがないように感じていて。演じる年齢や環境、立場が変わってくる中で、演じ方をそれぞれ分けていかなきゃいけないと思うのですが、迷いなくやられていて本当にすごいなと。体力あるなと思います」
――今作の中で、桂場はどのような役割を担っていると考えていますか? 「小林薫さんが演じた穂高先生は、桂場にとってもトラ(寅子)ちゃんにとっても先生で。桂場は穂高先生の考え方を『理想論だ』と言っていましたけども、一番そこにこだわっているのは桂場だと思うんですよね。穂高先生も言っていましたが、古くなっていく考え方や、価値観をどう現代の解釈と擦り合わせていくのかに、最高裁長官として桂場は取り組んでいる。一方で、トラちゃんは家庭裁判所の部分から何かを変えようとしている。変えようとしている広さが全然違う中で、桂場には1人では全てさばき切れない部分があるんですよね。桂場は、頼れる人がものすごく少ない人なんですよ。法曹界ってたくさん人がいるんですけど、その中でも司法の独立にたぶん一番こだわり抜いてるのが、桂場で。司法の独立の理想を追求するためには家庭裁判所の問題だけではないものも全てジャッジしなくてはいけない中で、司法の独立を実現するために、自分が最高裁長官にいる間に、司法の独立を成立させるためには何が必要なのかって、全部解決していけなかったりするわけです。なので、どこかで切り捨てないといけない課題が必ずあって。トラちゃんからしたら間違いを犯していたりとか、裁判、法曹界の人間をないがしろにしているような描写も出てくるわけです。これが間違っているか間違っていないかは、僕には判断できないんですが。そういう理想と理想のぶつかり合いみたいなものが、終盤になるとより出てくるんです。桂場って本当に平等、公平性みたいなものがすごくある人間だとは思うのですが、最後の最後にその公平性すらも捨てて、司法の独立という方向にかじを切る瞬間があるんです。そこで、トラちゃんや法曹界にいる人たちにとっての壁のようになっていく瞬間があるので、味方でもあるし、時には敵にもなるというところですね」