なぜF1王者たちは「ベイビー・オースティン」を溺愛? 可愛いルックスからは想像できない「A35」は、とんでもない実力の持ち主でした
グラハム・ヒルは愛車のA35でモナコGPへも遠征
これらベイビー・オースティンは、モータースポーツでも活躍し、1958年に始まったブリティッシュ・ツーリングカー選手権(BTCC)では、「フライングドクター」ことジョージ・シェパードのA40が1960年のチャンピオンに輝く。 1962年と1968年のF1ワールドチャンピオンであるグラハム・ヒルは、チーム・ロータスのメカニックからドライバーへと「昇格」した1958年にエッソからのスポンサーフィー1000ポンドで、初めて新車を購入。それがA35であった。そして盟友ジョン・スプリンゼルらとさまざまな競技に出場するのだが、この年のBTCC最終戦のブランズハッチで、前を行くレス・レストンとロン・ハッチソンのライレー「1.5」が競り合ってる間をすり抜けて勝利したレースを、観客の熱狂ぶりは痛快だったと自伝にも残している。 グラハム・ヒルは競技だけでなく、世界中のサーキットにも愛車で転戦、F1デビューの1962年モナコもA35で行った。
ジャッキー・スチュワートやフランク・ウィリアムズも絶賛
3度のF1ワールドチャンピオンに輝いたジャッキー・スチュワートは、「初めて所有したからかもしれないが、すべてのクルマの中で、一番の喜びをもたらしてくれたのはA30だ」と語り、1976年のF1世界王者であるジェームス・ハントはベストハンドリングマシーンと称え、晩年までバンとサルーンの2台を愛用していた。 また、ウィリアムズF1チームの創設者フランク・ウィリアムズは「A35でレースをしていた時の楽しい瞬間を今も振り返ることができる」と、グランプリの頂点を極めた後にもインタビューで語っている。 「17歳になったばかりの頃、A35を速くしようとモディファイを始めたのだけど、間違ったことをすると、どういう結果になるのかを教えてくれた良い入門書だった」というのは、マクラーレン「MP4」などのデザイナー、ジョン・バーナードだ。 戦前のベイビー・オースティンがそうであったように、生まれながらの素性の良さはモータースポーツの第一線で歩む者たちをも魅了し、オースティンの目論見も見事に達成したのだ。 * * * そうした背景もあり、本場英国でのグッドウッド・リバイバルでも常連車種として多数参加、現在も観客を魅了し続けているのだ。今回、日本でもベイビー・オースティンの愛好家たちにより開催されたフライングAトロフィー。全国から集まった3兄弟の雄姿を画像ギャラリーにてご覧いただきたい。
奥村純一(OKUMURA Junichi)
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