なぜジュビロ磐田の主将である山田大記は崖っぷちのJ1残留を前に電撃引退を発表したのか…「残り2試合、魂を懸けて闘いたい」のメッセージの真意
J1残留へ崖っぷちに立たされているジュビロ磐田は26日、キャプテンの元日本代表MF山田大記(35)が今シーズン限りで現役を引退すると電撃発表した。明治大から2011年に加入した山田は、ドイツでプレーした3年間をへて、通算12シーズンにわたって磐田をけん引。2020シーズンからは渡独前に続いて10番を背負ってきた山田は、磐田を通じて「残り2試合、魂を懸けて闘いたい」とコメントを発表し、残留の絶対条件となる連勝を置き土産にすると誓った。 【画像】史上最強のSEXYクイーンら4人の“美ボディ”ラウンドガールが世界戦に登場!
J1残留へ後がなくなった磐田に激震が走った。 キャプテンとしてチームの精神的な支柱を担ってきた山田が、リーグ戦が残り2試合となった今シーズンをもって現役を引退すると磐田から電撃発表された。クラブの公式HPおよび同X(旧ツイッター)を通じて、山田はファン・サポーターへ、短い文言のなかに熱い思いを込めたメッセージを届けている。 「今シーズン限りで引退することになりました。皆様への感謝の気持ちは、セレモニーにてお伝えさせていただきます。まずは残り2試合、魂を懸けて闘いたいと思います」 12月に36歳になる山田は、藤枝東高から明治大学をへて2011年に磐田へ加入。ルーキーイヤーからエースの証である「10番」を託され、翌2012シーズンからは2年間にわたってキャプテンを務めた。2013年にはEAFF東アジア選手権を制したザックジャパンに招集され、豪州、韓国両代表戦に出場している。 2014年夏には独ブンデスリーガ2部のカールスルーエへ移籍。2年目からは「10番」を背負い、3シーズンで88試合に出場して10ゴールをあげたが1部昇格は果たせず、逆に3部降格を喫した2016-17シーズンをもって退団した。 引き続き海外挑戦を希望していた山田は熟慮した末の2017年8月に、小学生および中学生年代には下部組織に所属するなど、愛着のある古巣・磐田への復帰を決断。当時のクラブ公式HPで、恩返しの思いも込めてこんな言葉を綴っている。 「自分を育ててくれたジュビロ磐田というクラブと応援してくれるサポーターの為に、自分にできることを精一杯やりたいと思います」 2020シーズンからは、MF中村俊輔(46、現・横浜FCコーチ)の移籍に伴い、空き番となっていた「10番」を再び拝命。翌2021シーズンのJ1昇格に貢献すると、昨シーズンからは2度目のキャプテンを務め、第1次森保ジャパンでヘッドコーチを務めた横内昭展監督(56)のもと、1年でのJ1復帰にも尽力した。 迎えた今シーズンは、怪我で序盤戦の約2カ月間を欠場。戦列復帰後もコンディションが完全に戻りきっていないためか、8月以降は後半途中からの出場が中心となり、ここまで23試合に出場して3ゴールをあげるも、プレー時間は749分にとどまっていたなかで、突然の現役引退が発表された。