800人犠牲の四日市空襲 焼夷弾の模型や焼けた硬貨 おもちゃや絵本には戦車 三重・四日市市立博物館
四日市空襲や戦時下の暮らしなどを紹介する企画展=四日市市立博物館(三重テレビ放送)
約800人が犠牲となった四日市空襲や戦時下の暮らしなどを紹介する企画展が、四日市市立博物館で開かれていて、四日市空襲を体験した男性がその悲惨さを語りました。 四日市空襲の語り部を務めているのは、小学3年生の時に空襲を体験した近藤賢次さん(87)です。 1945年6月18日、近藤さんは市の中心部にあった自宅で空襲にあい、両親とともに必死で逃げたといいます。一夜明けて戻った市街地は焼け野原で、逃げようとしていた防空壕は焼け落ちました。 多くの人が亡くなったと語り「天災は止められないが、人が起こす戦災は止められる。今の平和な暮らしが続くよう語り継いで欲しい」と呼び掛けていました。 四日市市は、終戦間近の1945年6月18日から8月8日までの間、9回にわたる空襲を受け約800人が犠牲になりました。 毎年、この時期にあわせて企画展が開かれ、空襲に使われた焼夷弾の模型や、焼け野原となった市内の様子などが3つのフロアにわけて紹介されています。 中学校教育でも軍事主義が取り入れられ、子どもたちが遊ぶおもちゃや絵本にも戦車や軍艦が描かれるなど、戦争色が強くなっていった時代を感じさせます。 また、空襲で焼けた硬貨やガラスなども展示され、原型をとどめない姿からは焼夷弾や空襲の威力が見て取れます。 この企画展は、9月1日まで四日市市立博物館で開かれています。