20~30代の観客が急増する理由とは? 特異な集団「唐組」という生き方<ルポ:紅テントと「特権的肉体」>
設営に丸3日、恐ろしく非効率的なスタイル
唐が亡くなった翌日から、『泥人魚』という作品の東京公演が始まった。神戸に始まり、岡山、新宿花園神社、鬼子母神、長野と、1カ月半かけて全国を巡業する。『泥人魚』は2003年に初演された作品で、読売文学賞(戯曲・シナリオ賞)や紀伊國屋演劇賞(個人賞)など、演劇界の名だたる賞を総なめにした唐の後期の代表作である。 内容は、深刻な水質汚染をもたらした長崎県の諫早湾干拓事業に材を取ったものだ。奇しくも今年4月、諫早の漁業者が国を相手取って起こした裁判で、最高裁が上告を棄却し、漁業者側の敗訴が確定した。堤防の開門をめぐる複雑な対立は、『泥人魚』の初演から20年経った今も地元に禍根を残している。 唐自身は、2012年に自宅で転倒して頭を打って以来、後遺症のため亡くなるまで隠居状態だった。唐が倒れたのもこの初夏の時期の公演中で、自身もいつものように舞台に上がっていたが、唐がいなくなったあとも代役を立てて公演は続けられた。そして今は、座長代理の久保井研のもと、こうして劇団員総出で紅テントを立て、過去の戯曲を上演している。そのスタイルは、唐の存命中とまったく同じである。 紅テント設営は、舞台美術の設置、照明・音響機材の取り付けまで含めると、丸3日かかる。炎天下から一転、雨が降り出すと、劇団員たちはカッパを被って作業を続ける。過酷な労働環境である。紅テントを支える鉄製のメインポールの設置も、重機を使わずに人力で行われ、まさにエジプトのピラミッド建設を思わせる。こうしてテントを張るごとに丸太やトタンに釘を打ち込むが、中には30年以上使われている木材もあるという。 現在使われているテント生地は、劇団でもっとも古株の久保井が入団した1989年に新調した3代目になるが、この紅テント自体がここにいる誰よりも長く唐十郎の演劇と伴走してきた。テントの資材や公演に必要な美術、機材を載せてきた2台の4tトラックは、巡業ごとにレンタルしており、運転も元劇団員や知り合いの役者が請け負っている。レンタル費用を節約するため、荷物を降ろしたら一度東京の業者に返却して、公演終了に合わせてまた長野まで運転してくるという。 テントの解体も、公演最終日の深夜に作業を始め、翌日いっぱいかけて行われる。再びトラックに積み込まれた資材は、山梨にある「乞食城」──これも70年代に劇団員によって自力建設された稽古場に運び込まれ、やっとひとつの地方公演が終了となる。 恐ろしく非効率的。既存の劇場を借りたほうがはるかに安上がりだし、何より手間も時間もかからない。