《再放送が話題》今からでも間に合う!「カムカムエヴリバディ」を“はじめての朝ドラ”に推す3つの理由
(2)時間描写の魔法──見えないところで何が起きたかがわかる作劇と演出
3人のヒロインの人生を描くとあらば、1人につき3倍の速さで進める必要がある。実際、物語はテンポよく大胆に展開していくのだが、その一方で、季節の移り変わりや人物の心情の変化を丁寧に追っている。「すっ飛ばし感」や「雑さ」とは無縁で、むしろ視聴者を3倍没入させる、3倍濃密なドラマになっているところが本作の大きな魅力だ。 「明日どうなるんだろう」というハラハラドキドキの「引き」をしっかりと作りながら、登場人物たちの「生活と日常」を細やかに描くことを忘れない。「ひとりひとりの日々の小さな積み重ねが、やがて大きな物語を動かす」というこのドラマの隠れテーマ、そして作り手の哲学が一貫している。 「時の物語」である「カムカム」は、時間の描写が実に巧みだ。この朝ドラは、その週が描くタームを週タイトルの年号が示すだけで、ドラマ本編に「○○年・春」というようなテロップはもちろん、カレンダーさえ出てこない。庭を彩る花が紫陽花から牡丹に変わったことで、初夏から冬に季節が流れたことを見せ、名勝負として記録に残る高校野球の試合をラジオから流すことで、今が何年何月何日なのかをさりげなく知らせる。 人物のしぐさや一瞬の表情、ひと言の台詞により、「今映し出されているシーン」の外で何が起きて、人物の心がどう動いて今に至ったのかを、観る者に瞬時にわからせる。こうした「時間描写の魔法」が本作を、半年間、1日15分ずつ、じっくりと玩味できる作品たらしめている。
(3)タイトル「カムカムエヴリバディ」に象徴される「多様性」
第2回で、安子(幼少期:網本唯舞葵)は「お菓子を作る人になりたい」と願うが、「女は職人にはなれない」と言われる。また同じ回で、安子の兄・算太(濱田岳)は「ダンサーになりたい」と言うが、「男はダンサーになれない」と言われる。女ばかりじゃない、男ばかりじゃない、昔はみんな社会規範に基づいた「役目」を強いられ、抑圧されていた。そういう時代だった。すでに第2回のこの作劇からして、本作の作り手たちが一方的な描写はせず、多方向からの視点を持ちながら物語を作っていることが見てとれる。 大正14年生まれの安子、昭和19年生まれのるい、昭和40年生まれのひなた。ヒロイン3人とも、ごく普通の暮らしを営む一市民だ。そして、その時代だからこその、それぞれの苦悩がある。彼女たちがどんな人生を歩み、どんな選択をしていくのかを通じて、「思想の歴史」「女性の解放までの変遷」が映し出されている。 本作のパッケージは「100年のファミリーストーリー」であるが、「100年を歩んできた様々な人たちの群像劇」とも解釈できる。視聴者の中には、家族に恵まれなかったり、家族に対して複雑な思いを抱いている人だっているだろう。かくいう筆者もそのひとりだ。けれど、そんな人たちにもこの朝ドラは「みんないらっしゃい(Come, come, everybody)」と呼びかける。「家族」とは、血のつながりだけを意味するものではない。どんな人も、自分自身の「ひなたの道」を見つけて進んでいけば、人生は輝く。こうしたメッセージが、3人のヒロインと、彼女らが関わる様々な属性、様々な境遇の人々の姿を通じて発せられる。 第2回で、菓子職人の修行中だった算太が形の悪い大福を作り、「人間だって、ちょっとはみ出すぐれえが味があろうが」と言う。「カムカム」には偉人も聖人君子も出てこない。これは、「○○が当たり前の時代」に、そこから「ちょっとはみ出」した人たちが、自分らしい「ひなたの道」を見つけて、生きて、明るい未来を祈り続ける物語。 ちなみに今回の再放送はオンエアと同時に、また放送後1週間、NHKプラスでも視聴が可能だ。安子にラジオ英語講座を勧めた稔の言葉を借りて、「明日の昼、12時30分にテレビ(端末)をつけてみて」と書き残し、本稿を閉じたい。
佐野華英