“絶滅危惧楽器”バンドネオン奏者の三浦一馬、ふたりの師匠に出会うまでの行動力がスゴい
バンドネオンとは、テレビの音楽番組で出会った
そんなバンドネオンに三浦さんが出会ったのは、わずか10歳、小学4年生の頃。三浦少年は、どのようにしてこの希少な楽器の存在を知り、プロの演奏家を志すに至ったのだろうか? 三浦:小学校4年生ぐらいの頃、夕食後に家族とテレビを見ながらザッピングをしていたら、たまたま音楽番組にアップで何かが映ったんですよ。それがバンドネオンの手元のボタンだったんです。しかも、演奏されていたのは、聞いたことのない大人っぽい音楽。自分が憧れる大人の世界を見せくれて、かつ、当時メカ大好き少年だったこともあって、機械仕掛けなそのビジュアルに衝撃を受けました。番組を見てから半年後、東京銀座のCDショップ1階でバンドネオンのミニコンサートが開催されると知り、観に行きました。そのとき、テレビでは全く感じられなかった勢いよく蛇腹を戻す際のノイズや、カチャカチャと鳴るボタンの音を聴き、ゾクゾクしたことを覚えています。このコンサートで弾いていたバンドネオン奏者の小松亮太さんに「バンドネオンが好きで弾いてみたいんです」と、直談判させていただきました。そしたら、コンサートの2~3日後に我が家に大きなダンボールが届いて。中を開けたら、バンドネオンが入ってるんですよ。どうやら、小松さんが好意で貸してくれたみたいなんです。 最初に楽器を手にしたときはもちろん、うれしかったです。けれど同時に、「弾きたいとは言ったけど、これは大変なことになってきたな……」とも正直思いました。それに、子ども用サイズなどがあるわけではないため、実物を目の前にしたら想像していたよりも大きかったことが印象に残っています。ちなみに、最初に出したのは「ラ」でした。この音が思ったよりも大きくて、身体に不思議なゾクゾク感が走ったことは今でも忘れられません。
人生2人目の師・マルコーニと邂逅
CDショップのイベントで接点を持ったことをきっかけに、日本を代表するバンドネオン奏者である小松亮太さんを最初の師匠として、レッスンに励むようになった三浦さん。バンドネオンの基礎を6年間しっかとり学んだあと、16歳になったときには、バンドネオンの世界的権威であるネストル・マルコーニを人生2人目の師匠とすることになる。 三浦:私の先生であるマルコーニさんは現代最高峰と言われるバンドネオン奏者です。今年で御年81歳。バンドネオンを弾く人であれば誰もが一度は憧れるのではないかという人で、演奏はもちろん、作曲および編曲者、コンダクターとしてもマルチに活躍されています。初めて出会ったのは、高校最初の春休みのとき。憧れのマルコーニさんが来日し、九州で開催される国際音楽祭に出演されるとの情報を聞きつけて「これはもう行くしかない」と思い、当時住んでいた首都圏から現地へ遠征しました。そこで初めてお会いし、高校2年生になったときには、夏休みを丸々利用して、先生の母国・アルゼンチンまでレッスンを受けに行っていました(笑)。このときに「実は楽器を探しています」とご相談させていただいたところ、先生の使っていないバンドネオンを2つ、3つテーブルに並べて、「この中から選んでごらん」と言ってくれたんですよね。そこで、緊張しながらも試し弾きをさせていただき、その中の一つを選んだら「やっぱりそれを選ぶのか」とニヤリとされていました。どうやら、それは先生お気に入りのバンドネオンだったみたいなのですが、それを譲っていただき、今でも大事に弾いています。