“混セ”優勝のカギを握る「中日・高橋宏斗」…いまだ防御率0点台、ライバル球団のエースをなぎ倒す「22歳」の覚醒
二軍で学んだこと
「二軍でも最初は苦労していました。取材陣も完全シャットアウトでした。でも、テイクバックが小さくなって、リリースポイントが少し高くなりました」(前出・同) 一軍での復帰登板は4月28日。勝敗はつかなかったが、7回無失点と好投した。高橋は「どこが良くなったのか?」と地元メディアにマイクを向けられると、「自分でもよく分からない」と首を傾げていた。「同期入団の松木平優太(21)が頑張っている姿を見て自分も」と思ったそうだが、“気持ち”で投球フォームの悩みが解消されるほど、プロの世界は甘くない。とはいえ、「自分でもよく分からない」「同期の健闘に励まされた」が復活の契機になったのはあながち間違いではなさそうなのだ。 「同期の活躍に触発され、『このままではダメだ』と思い、高橋はフォーム改造に乗り出しました。二軍降格後のフォームは、従来の投げ方に近いものになり、最終的に元の投球フォームに戻った印象です。違いがあるとすれば、リリースポイントがやや高くなっただけです。このままではダメだと向上心を持つことも大切ですが、これまで積み上げてきたものを信じる、原点回帰することも大事だと二軍行きで学んだのではないでしょうか」(チーム関係者) また、高橋の独特の感性について、こんな証言も聞かれた。7月30日のヤクルト戦でのこと。7回無死一塁で村上宗隆を迎えた。外角に投じたスプリットが左翼ポール際のファールゾーン・スタンドまで運ばれた。すると、高橋は右腕でバットスイングを真似ながら、三塁を守っていた高橋周平(30)の方に歩き出し、 「何で、あそこまで飛ぶんですかね?」 と尋ねた。高橋周平は「知らん!」と笑いながら答えた。その村上を抑え、攻守交替でベンチに戻ってきた後も、同じ質問を他の選手にしていたという。 「高橋の脳裏には、前打席の村上のイメージが残っていたようです。内角のスプリットで空振り三振に仕留めており、そのときのバット軌道から、外角に投げた7回のスプリットは絶対に打たれないと考えていたそうです。その説明を聞いた中日ナインは笑っていましたが、高橋は『三冠王だから(バットに)当たったのかな』と首を傾げていました」(前出・同)