「4浪建築学科合格」でも、彼が語る“努力の虚しさ”。学校でのいじめや親との関係に悩んだ日々。
今思えば、中学時代にずっといじめられていたので、高校2年生になってから同級生と旅行で一緒にスキーに行ったり、ゲーセンに行ったりできたのはよかったです。中には、親身になって勉強を指導してくれた先生もいたので、中学よりはいい環境だったと思います。でも、最終学歴がこの学校になるのは嫌だったので、大学受験で挽回したいと思っていました」 高校1年生のときには父親がMARCH(明治大、青山学院大、立教大、中央大、法政大)出身だったこともあり、自身もそれ以上に行きたいと考えていた安藤さん。
3年生になってからは、『ブラック・ジャック』に憧れたことで、誰にも縛られない、尊厳を保った人生を歩むために医者になろうと考え、国公立の医学部を志望します。 しかし、塾に通って毎日授業外で最低3時間は勉強していたものの、河合塾の全統模試など、当時受けた模試の偏差値は軒並み45程度で成果が出ませんでした。 「私の高校は進学校ではなく、生徒を卒業させることが第一だったので、大学受験はまったく考えてない感じでしたね。私は自分の力でやると決めて、黙々と机に向かってましたが、3年生の中ごろにはもう浪人するだろうなとは思っていました」
この年、初めてセンター試験を受けたものの「半分も取れていないのは覚えている」と語るように、チャンスのある大学がほぼない状態で、実家から通える国立の医大をかたっぱしから受験して、全滅してしまいました。 ■現役偏差値45→2浪で偏差値29に 浪人を決めた理由を安藤さんに聞くと、「大学に行かないと生きていけないと本気で思い込んでいた」と当時を振り返って答えてくれました。 「『大学に行かなかったら、(いつも)誰かから見下されるんだ』と親から言われていました。そういう家庭に育ったから、大学に行かないという選択肢はなかったんです。とはいえ、家にお金がないとも言われていたので、宅浪を決断しました」