なぜ渋沢栄一は子供たちに財産を残さなかったのか…日本資本主義の父が理想とした「合本主義」とはなにか
■商売をするうえで最も重要なこと 孔子は、『論語』の中でこう述べています。 ---------- 富貴とは、これ人の欲する所なり。その道をもってせずしてこれを得れば処(お)らざるなり。貧と賤しいとはこれ人の悪む所なり。その道をもってせずしてこれを得ざれば去らざるなり。 訳「人間であるからには、だれでも富や地位のある生活を手に入れたいと思う。だが、まっとうな生き方をして手に入れたものでないなら、しがみつくべきではない。逆に貧賤な生活は、誰しも嫌うところだ。だが、まっとうな生き方をして落ち込んだものでないなら、無理に這い上がろうとしてはならない」 (『現代語訳 論語と算盤』守屋淳訳、ちくま新書) ---------- ここでは富貴を言下に否定するようには書かれていません。 「その道をもってせずしてこれを得れば処らざるなり」(まっとうな生き方をして手に入れたものでないなら、しがみつくべきではない)とあるように、道徳のないやり方で得た富を戒めていたのです。 栄一自身も「真正の利殖は仁義道徳に基づかなければ、決して永続するものではないと私は考える」と述べています。商売で重要なのは道徳であり、個人の利益のみを重視しては長く続けていくことはできないことを、栄一は見抜いていたのでしょう。 ■子孫や後継者に資産を残さなかったワケ 渋沢栄一にとって経済とは、平等な社会を実現させ、公益を最大化させるためのツールに過ぎなかったことがわかります。 生涯をかけて、自身の蓄えや利権を大きくするためではなく、よりよい社会をつくるための経済活動を実践しようとしました。 栄一は生涯で約500の企業の設立に関わりましたが、そうした自分の関わった会社や膨大な不動産などの資産を、子孫や後継者たちに残すことには関心がありませんでした。 しかし、人間はどうしても「もっともっと」と自分の富を求める方向に進んでしまいます。そこで栄一は『論語と算盤』で、そうならないためのストッパーとして道徳観、倫理観をベースとした経済活動を行うことの重要性を説きましたが、「論語と算盤」的経済活動が社会に定着することは叶いませんでした。 晩年に記した「米寿を迎えた喜び」という文章からは、経済発展に伴って人々の精神が向上していかないことへの苛立ちが感じ取れます。