地下鉄サリン事件から30年 国は総括的な徹底検証を 政府ができないなら国会で サンデー正論
官邸はというと、村山首相も五十嵐官房長官も阪神大震災の対応に追われ、ほかのことを考える余裕などとてもなかった。オウム真理教は宗教法人を隠れ蓑(みの)に武装化を図っていた。捜査当局には宗教法人に対する捜査への躊躇(ちゅうちょ)はあったはずである。
國松氏は「管轄権」の問題について言及している。都道府県単位で動く日本の警察制度の下では、事件の捜査はその事件が発生した都道府県の警察が行うのが原則だ。
「オウム真理教事件」の場合、7年2月28日に「假谷清志(かりやきよし)・目黒公証役場事務長逮捕監禁致死事件」が発生するまでは警視庁管内での事件はなかった。
「假谷さん事件の発生により始めて、全国警察の中で人員・装備の両面において最大の力量を誇る警視庁が、事件を主体的に捜査する管轄権を得ることになり、『オウム真理教』に対し組織の総力をあげて対決する態勢をとることができるようになったのである。しかし、捜査着手のための諸準備を進めている最中の3月20日、『地下鉄サリン事件』の発生を見てしまった」
■米はすぐに調査委を設置
國松氏は無念の思いを込めて振り返る。事件後、警察法が改正され、オウム真理教事件のような広域組織犯罪が起きたときは事件の管轄権の有無にかかわらず、警察庁長官の指示の下で体制をとって臨むことができるようになった。ただ、これは刑事部門からの観点であり、警備部門による過激派対策は全国規模で行われていた。
國松氏も30年7月の死刑執行で「オウム真理教事件」を終結してはならないと強調する。
「決着がついたのは、刑事事件としての『オウム真理教事件』であって、事件の背景をなす諸相の解明は、少しもついていない。何故、高度の学業を修めた知的レベルの高い者がかくも容易に麻原ごとき誇大妄想狂の言説に惑わされたのか、『宗教』というものの持つ『洗脳力』はどのように理解すべきものか、さらには、この種事件の再発を防止するために日本社会はどのような総合的対策を立てなければならないか等々、今後、全社会的に検討しなければならない重要課題は、ほぼ手付かずのまま残っていると言わざるを得ない」