地下鉄サリン事件から30年 国は総括的な徹底検証を 政府ができないなら国会で サンデー正論
地下鉄サリン事件が発生してから来年3月で30年になる。オウム真理教による無差別テロは国内外に衝撃を与えた。事件を受けて、広域犯罪に対応するための改正警察法が施行されるなど「第2のオウム」の出現を封じる対応策は取られたものの、なぜ事件を防ぐことはできなかったのか、責任の所在はどこにあるのかに焦点を当てた政府や国会による総括的な検証作業はいまだに行われていない。令和4年7月8日に起きた安倍晋三元首相暗殺も同様だ。再発防止のためにも徹底的な検証が求められている。 オウム真理教による事件は平成元(1989)年11月4日に発生した「坂本弁護士一家殺害事件」をはじめ、6年6月27日の「松本サリン事件」、そして7年3月20日の「地下鉄サリン事件」と続いた。一連の事件で29人の死者と6000人を超える負傷者を出した。起訴された被告人の数は192人で教団の元代表、麻原彰晃(本名・松本智津夫元死刑囚)ら13人が死刑を宣告され、執行された。 地下鉄サリン事件発生時、筆者は政治部官邸クラブで官房長官番をしていた。社会党の村山富市内閣で五十嵐広三氏が官房長官だった。同年1月17日には阪神・淡路大震災が発生し、村山官邸は対応の遅れを批判されていた最中での事件だった。 ■背景の究明は手付かず 普段は高輪の議員宿舎に朝まわりするのだが、たまたまその日は町屋駅から地下鉄千代田線に乗って国会議事堂前駅に向かうところだった。1時間ほど前の午前8時ごろ、同じ千代田線の車内にサリンがまかれた。 騒然とした雰囲気の中、取材を始めたが、オウム真理教に対する強制捜査、國松孝次警察庁長官狙撃事件と日々の取材に追われた。その後、取材の中心はオウム真理教に対する解散命令、破壊活動防止法による規制処分(解散指定)に向かった。 事件前の政府の対応はどうだったのか、責任の所在の取材が十分だったとは言えない。それは当時の政府、国会も同様だ。政府による公式の検証作業が行われることはなかった。 國松氏は昨年6月、オウム真理教をテーマにした小説『沙林(サリン) 偽りの王国』(帚木蓬生(ははきぎほうせい)著、新潮社)の文庫化に際して解説を書いた中で「確かに、例えば、『坂本弁護士一家殺害事件』の捜査がもう一歩早く進展していたら、『地下鉄サリン事件』は防げたのではないかという思いは、警察当局としても深い悔恨の念と共に共有しているところである」と記した。