中森明菜にショック…2005年、歌手・本田美奈子さんの「まさか」の訃報 「歌姫」を軸に11日間の連続ライブに挑戦
この年は明菜にとってショックな出来事もあった。80年代から仲の良かった歌手の本田美奈子.さんが亡くなったのだ。
本田さんは85年4月に「殺意のバカンス」でデビュー。中山美穂らと同期で当時、新人の中でも注目度が高かった。その後、「1986年のマリリン」で一気にブレークしたが、92年にミュージカル「ミス・サイゴン」のヒロインに抜擢されるとミュージカル女優として活躍していた。しかし志も半ばの2005年11月6日に急性骨髄性白血病で帰らぬ人となったのだ。享年38だった。
「本田さんが緊急入院したのは05年1月13日でした。風邪のような症状で診察を受けると白血病と診断されたのです。3度の化学療法と臍帯血(さいたいけつ)移植手術を受け、7月にいったん退院、誕生日を自宅で迎えるなど快方の兆しもみえていたようでしたが、その後に再発。米国から取り寄せた新薬も試みたようでしたが帰らぬ人となってしまいました」(関係者)
本田さんの訃報を聞いた時、明菜は「まさか」という表情で言葉を失ったという。マスコミからの問い合わせに明菜は「賞レースなどでご一緒しました」とした上で、「いつも明るく接してくださいました。その時の美奈子ちゃんの笑顔が思い出されます。入院なさった時、すぐにでもお見舞いにおうかがいしたいと思っていましたが、それもかなわず…。元気に退院してくれるものと信じていたので心が痛みます。寂しい」とのコメントを寄せた。 (芸能ジャーナリスト・渡邉裕二)
■中森明菜(なかもり・あきな) 1965年7月13日生まれ、東京都出身。81年、日本テレビ系のオーディション番組「スター誕生!」で合格し、82年5月1日、シングル「スローモーション」でデビュー。「少女A」「禁区」「北ウイング」「飾りじゃないのよ涙は」「DESIRE―情熱―」などヒット曲多数。NHK紅白歌合戦には8回出場。85、86年には2年連続で日本レコード大賞を受賞している。