サッカー五輪最終予選"ドーハの完勝"の裏側。"史上最も過酷なアジアの戦い"をなぜ勝ち抜けた!?
今回はヤバいのでは!? そんな厳しい声も聞こえる中、パリ五輪アジア最終予選(U-23アジア杯)に臨んだ若き日本代表。彼らはいかにして難敵を倒し、アジア王者の座に輝いたのか。現地で密着取材したスポーツライター・浅田真樹氏がリポートする。 【画像】サッカー五輪最終予選、U-23日本代表の戦績 * * * ■他チームと比べると、明らかに強かった 男子サッカーのパリ五輪アジア最終予選を兼ねたU-23アジア杯(カタール)。上位3ヵ国がパリ行きのチケットを手にするこの大会で、U-23日本代表は見事に優勝を果たした。 グループステージ第3戦では韓国に敗れたり、準々決勝では退場者を出した地元カタールに延長戦まで持ち込まれたりと、途中はハラハラドキドキの勝ち上がりだったが、終わってみれば8大会連続の五輪出場である。 しかしながら、大会前に時間を戻せば、日本のパリ五輪出場を危ぶむ声は多かった。 日本サッカー協会の山本昌邦ナショナルチームダイレクター(ND)が3月の親善試合前の会見で口にした「危機感しかない」という言葉もにわかに注目を集め、悲観論を広める要因となっていた。 もちろん、不安要素がなかったわけではない。 いわゆる"パリ世代"の主力をなすのは、2001、02年生まれの選手たちだが、彼らはコロナ禍のあおりで21年U-20W杯が開催中止になった世代。つまり、「自信や経験をうまく積み上げてこられなかった」(山本ND)世代だったのである。 しかも、今大会がヨーロッパのシーズン大詰めの時期に開催されるとあって、MF鈴木唯人(ゆいと・ブレンビー)、MF三戸舜介(みとしゅんすけ・スパルタ)ら、これまでの代表活動で主力を務めてきた選手の招集がかなわず、ベストメンバーを編成できないことも、気勢が上がらない材料となっていた。 加えて、何より世の不安をあおっていたのは、今年初めに行なわれたアジア杯での惨敗だったのではないだろうか。日本は優勝候補筆頭と目されながら、初戦から苦戦が続き、結局はベスト8敗退。イラクやイランに敗れたばかりか、ベトナムやインドネシアにも苦しむという散々な結果に終わっていたからだ。 しかし、それはあくまでもA代表の結果である。 そもそも今大会は戦うチームが違う上に、アジアのU-23世代がどんなレベルなのかはあまり情報がない。つまり大会前の悲観論はアジア杯のショックをいまだに引きずりなんとなく不安になっていただけで、その大部分は根拠に乏しい曖昧なものに過ぎなかったというわけだ。 事実、大会が始まってみると、日本は明らかに強かった。グループステージの試合を見ていても、大きく力が落ちる国もいくつかあり、実力的に日本のライバルとなりそうなのは韓国、サウジアラビア、ウズベキスタンなど、多く見積もっても4、5ヵ国といったところ。ひとりひとりがハードワークしながらも、高いレベルで技術、戦術を操れる日本は今大会で頭ひとつ抜けた存在で、これほど鮮やかにポケット(ペナルティエリア内の両脇)を突き、相手DFラインを破っていくチームはほかになかった。 実際、日本と対戦した韓国、カタール、イラクがいずれも本来の戦い方を捨て、ポケットに入らせまいと5バックで守備を固めてきたことからも、いかに日本が警戒されていたかがうかがい知れる。 加えて、難敵となるはずだったサウジアラビアが、グループステージ2連勝で気が緩んだのか、第3戦でイラクに不覚を取ったことは日本にとって幸いだった。結果的にグループ2位通過となったサウジアラビアが、準々決勝でウズベキスタンと潰し合いをしてくれたからだ。 日本は実力上位だった上に、こうした運にも後押しされ、大会前の低評価を考えれば、あっけないほどあっさりとパリ行きを決めてしまったのである。