鈴木涼美が振り返る「小手先のテクニックでいまいちなものを量産していた時期」 作家として守りたいマイルールとは
作家・鈴木涼美さんの連載「涼美ネエサンの(特に役に立たない)オンナのお悩み道場」。本日は特別に、悩めるオトコにお越しいただきました。 【写真】ホストクラブ帰り?の鈴木さんの朝ごはん Q. 【vol.28】書けない日があることに悩む物書きのワタシ(30代男性/ハンドルネーム「ヴィヒタ」) わたしもフリーランスの物書きをしています。ただ、一日に書ける分量が安定せず、二十枚くらい書ける日もあるのですが、ならすと五枚にも満たない日が多いため、もう少し一日に書ける分量を安定して増やしたいです。涼美さんはたくさん書かれ、発表されていると思いますが、その秘訣はなんですか? よろしければアドバイスお願いします。 A. 一文字に悩んで暮れる日があってもいい 私の場合、一日平均の書く量が一番多かったのは会社を辞めて三年目から五年目くらいの時だったと思います。とは言っても多い人に比べればたいしたことはなく、平均で十枚ちょっとでした。その前はもっとばらつきがあって、たまに二十枚書いて、まったく書かない日が何日も続いて、という感じだったし、その後はまったく書かない日はかなり少ないものの、平均枚数にすれば一日十枚に満たないペースだと思います。ちなみに今は出産後ちょうど二カ月ですが、ここ二カ月は週の平均がせいぜい二十~三十枚という程度、パソコンを開くことができない日もあるし、たった数枚のゲラに赤字をいれるのに締め切りが守れなかったこともありました。
■安定している=手慣れている そんな感じで、別に私はハイペースで安定して書いてきたわけではないのですが、一つ言えるのは最も平均枚数の多かった二、三年の間に書いたものは、必ずしも気に入っていないということです。安定したペースで書いていたということは、悪い言い方をすれば手慣れてしまって、小手先のテクニックで自分が書けるとわかっているクオリティのものを量産していた時期でもあるからです。当時書いた本を読み返すことは滅多にないですが、別にめちゃくちゃつまらないわけでも、駄作ばかりというわけでもないとは思いつつ、器用さで書けてしまっている感は否めません。それはフィクションであれエッセイであれちょっとした映画コラムや書評であれ、そうです。 それに対して、自分が比較的好きな作品を書いた時のことを思い出すと、一カ所の形容詞が気に入らなくて、その七文字を削ったり書き直したりしていたら一日経ってしまったということもあれば、図書館でトイレも行かずに二十枚以上書いた日もあるという調子でまったく安定しておらず、時に連載の原稿を休んでいることすらありました。それに、安定して器用なコラムを量産していた時に比べて、ものによっては文章のリズムが悪くかったるいし、全然面白くないエッセイもあるし、書きたいことはあったはずなのに書いているうちに見失って何が言いたいのかわからなくなり、すべて消してしまうようなことも多かったと思います。 今ももしかしたら安定したペースでそこそこのものを書くことはできるかもしれません。それはおそらく新聞記者、つまりサラリーマンライター時代に、気が乗らなくてもつまらなくても書くという訓練をしたからかもしれないし、もともとのある程度の器用さがあるからかもしれない。そういう能力が必要な持ち場というのはあります。生活系の記事が多い、地方面の担当記者だった時にはとにかく一枚の新聞紙を安定した内容の記事で埋めなくてはならなかったし、週刊誌でもインタビュー系のウェブサイトでも、とにかく分量とスピードが求められる場所というのはあるからです。