ベートーヴェン「第九」初演から200年! 名曲にまつわるゆかりの地を巡る
第九完成の地はウィーンの家
バーデンでの保養中に第九のほとんどを書き上げたベートーヴェンだったが、完成したのは1824年に住んでいたウィーンの家だった。 この家は、懇意にしていたピアノ職人ナネッテ・シュトライヒャーのピアノ工房や、定期演奏会が開かれたサロンから目と鼻の先の好立地だ。音楽におけるパートナーとしてだけではなく、家事や甥の教育のことまで相談に乗ってもらっていたナネッテの近所に住み、色々と生活や創作上のサポートを受けながら、第九を完成させたのだろう。
第九初演と再演の地
1824年5月7日、第九が初演されたのは、現在のウィーン国立オペラ座の前身となる、ケルントナートアー劇場だ。コンサート専門のプロオーケストラが存在しなかった当時、第九のような大作を演奏しうる演奏家を集めるのは至難の業だった。オペラ座の演奏家や宮廷音楽家、アマチュア音楽家たちが、この日のコンサートのためだけに集結し、演奏を行った。 2024年5~7月にウィーンの演劇博物館で展示されていた第九の手稿には、この初演後にベートーヴェンが書き付けたメモが残されている。ベートーヴェンはすでに完全に難聴であったため、聴衆の観客も耳に入らなかったというエピソードが有名だが、このメモは、完全な難聴では聞き取ることができない内容が記載されており、通説が覆される可能性もある。 10年以上ぶりに舞台上に姿を見せたベートーヴェンに喝さいを送った観客の中には、シューベルトやチェルニーだけでなく、宰相メッテルニヒも交じっていたという。 第九初演は大成功に終わり、同月23日に、会場を王宮のレドゥッテンサールに移して再演が行われ、翌年にはロンドンとドイツ、1831年にはパリと再演を重ねた。こうして、交響曲第九番が世界に知れ渡ることとなる。 * * * ウィーン郊外に始まり、温泉保養地で佳境を迎え、ウィーン中心部で完成したベートーヴェンの第九。9年間にわたる作曲ゆかりの地を巡ると、ほぼ難聴な上、気難しく人付き合いを嫌ったといわれるベートーヴェンが、親しい友人たちとの交流や、自然からのインスピレーションを通して、作品を完成させていった道筋が見えてくる。 ベートーヴェンが第九の構想と共に歩いた散歩道を歩き、その甘美な静けさに耳を澄ますと、200年前にこの場で紡がれ、世界中に知れ渡った名曲の誕生の瞬間を、少し身近に感じられるかもしれない。 文・写真/御影実 オーストリア・ウィーン在住フォトライター。世界45カ国を旅し、『るるぶ』『ララチッタ』(JTB出版社)、阪急交通社など、数々の旅行メディアにオーストリアの情報を提供、寄稿。歴史、社会、文化系記事を得意とし、『ハプスブルク事典』(丸善出版)など専門書への寄稿の他、監修やラジオ出演も。世界100ヵ国以上の現地在住日本人ライターの組織「海外書き人クラブ」会員。
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