“自分は正しいと信じて疑わないバカ” がもたらす災厄…生物学者が語る「厄介おじさん」大量発生の訳
自分の意見と人の意見を上手に摺り合わせできるのが賢い人
とはいえもちろん“賢い人”はいる。 池田先生が考える賢い人は、「自分は絶対的に正しいという思いに取り憑かれたバカ」とは真逆の「自分と他人の意見は違うということをちゃんと理解している人」のことだ。 「人の話を聞く時は相手の言い分をきちんと聞き、何か相手に要求する時は、かなり丁寧に、自分の考えをうまく整理して伝えられる。『自分の考えが正しい』ではなく、人の意見をくみ取り、自分の意見と上手に摺り合わせができる。こういう人は賢く、仕事でも評価が高いと思います。商談時に言いたいことだけを一方的に伝えて取引が成功するわけはないから当然でしょう」 例えばSNSでは誰かが発したコメントが誰かの反感を買い、歯止めがかからなくなり、常にどこかで炎上している。 「いろいろな意見があって当然」だと理解している者同士であれば、反論するにしてもされるにしても冷静に議論できるはずだが、それができないのは「自分と他人の意見は違うということをちゃんと理解していないから」にほかならない。 池田先生は『バカの災厄』のなかで「バカには異なる意見や立場の人の存在すら許さないくらいの不寛容さがある」と言及。若い世代にも思い当たる人はいるはずだ。 匿名で言いたい放題、自分の意見を主張できるネット社会も、“バカ”を増やしていると見る。 「今はSNSを通じて自分勝手に発信できるから、コミュニケーションなんてしなくていいし、するつもりもない。結果、一方的な発信能力ばかりが強くなってしまう。 その昔は、広く自分の意見を伝えるには新聞の投稿欄に投稿するくらいしか方法がなかったわけですが、今は匿名でネットに何でも書き込めちゃう。無責任に言えるわけですよ。 また、昔は対面での会話が当然だったから、反論されれば、相手を説得する言葉をさらに探して伝える術を磨いていたはずですが、その機会自体が減っている今、コミュニケーション能力が落ちるのも当然だと思います」 このまま“バカ”が増えることで最も危惧するのは「変な同調圧力が生じて、多くの人がそれになびいてしまうこと」だ。 「日本人の場合、強い信念で何かを言ったりやったりするより、みんながやっているからそれに倣うという傾向が強い。戦時中がいい例だと思います。国民全員が『鬼畜米英』『天皇陛下万歳』と叫んでいたはずが、負けた途端に『マッカーサー万歳』に変わったわけですから(笑)。 お袋から聞いた話なのですが、戦時中、電車の中で皇居に向かって『敬礼!』と大声を出している男性がいて、みんなが従った。でも実はその人が求めていたのは、国民の天皇に対する敬意ではなく、自分の命令に従わせることだった。敬礼しない人は非国民だと罵倒し、偉ぶりたかっただけなのだと。そういう面倒くさい人がいたと嘆いていました。 マウントを取りたがる人もこれと同じで、自分の信念というよりは、自分が偉そうな顔をしたいだけ。でも、先ほども言ったように、多くの人が自分の頭で考えないから、強い風が吹けば、誰もが同じ方向に向いてしまう怖さがある。こうした日本の体質は何十年経っても変わらないような気がしますね」 日本の教育やネット社会が“バカ”を生んでいるとしたら、なぜ、おじさん世代に“バカ”の災厄は目立つのか。 後編では、その理由と、若い世代が厄介なおじさんにならないための方法を聞く。 池田清彦 1947年、東京都生まれ。生物学者。東京教育大学理学部生物学科動物学専攻卒業、東京都立大学大学院理学研究科博士課程 単位取得満期退学、理学博士、山梨大学教育人間科学部教授、早稲田大学国際教育学部教授を経て、山梨大学名誉教授、早稲田大学名誉教授、TAKAO 599 MUSEUM名誉館長。『環境問題のウソ』(筑摩書房)『本当のことを言ってはけない』(KADOKAWA)『バカの災厄』(宝島社新書)『40歳からは自由に生きるー生物学的に人生を考察する』(講談社現代新書)『驚きの「リアル進化論」』(扶桑社新書)など著書多数。メルマガ『池田清彦のやせ我慢日記』、VoicyとYouTubeで『池田清彦の森羅万象』を配信中。 取材・文:辻啓子
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