大谷翔平選手の自宅をバラしたメディアの罪、「独自ダネ」競争の問題点は?…プライバシーに踏み込む危うい構図
■ “先出し”スクープより深掘り解説 信頼関係の構築を前提としない記事には、危うさがつきまとう。 同僚のチームメートや関係者の声を拾うなどの工夫を凝らすことがあるが、こうした場合、大谷選手が関知していない場面で取材が行われる。日本メディアが、他のメジャーリーガーに対して、その選手のプレーではなく、大谷選手に関するコメントばかりを求める風潮にも、批判的な声がある。 メディアの記者は、自らの媒体の読者や視聴者に、少しでも他の媒体の情報にないプラスアルファを提供しようとしている。最近は、メディアのこうした工夫に対しても「不要論」さえ根強くなってきた。 トップアスリートの記者会見などにおいては、会見内容の“先出し”は、メディアの中では「スクープ」の扱いになる。他方、読者や視聴者の中には、選手本人の声で話すまで待つべきとの声も大きく、先出ししたメディアが批判されることも珍しくなくなってきた。 むしろ本人の会見の内容などから、会見の趣旨や背景などを深掘りした解説記事などが読まれる傾向にもなっている。 選手のプライバシーに踏み込んだ報道への配慮が強く求められるのは当然としても、メディアの報じる内容と、読者や視聴者が求めている内容に大きなギャップも生まれつつある。 もちろん、メディアが「独自」の視点を放棄してしまうことは褒められたことではない。 大谷選手の取材に関しては、日本のほぼ全ての主要メディアが「番記者」を派遣している中、全体の記者会見や囲み取材以外から「独自」の情報を記事にするというのは、ハードルが高い。 こうした中で、記者の立場を堅持し、読者にも有意義な情報をどう提供していくか。人気、実力で圧倒する大谷選手を報じる側の姿勢が厳しく問われている。 田中 充(たなか・みつる) 尚美学園大学スポーツマネジメント学部准教授 1978年京都府生まれ。早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程を修了。産経新聞社を経て現職。専門はスポーツメディア論。プロ野球や米大リーグ、フィギュアスケートなどを取材し、子どもたちのスポーツ環境に関する報道もライフワーク。著書に「羽生結弦の肖像」(山と渓谷社)、共著に「スポーツをしない子どもたち」(扶桑社新書)など。
田中 充