「秀麗富嶽十二景」旧道笹子隧道を抜けて約90年前の坑門装飾のビフォー&アフター
秀麗富嶽十二景四番山頂の笹子雁ヶ腹摺山の笹子峠登山口に、その隧道の坑門は口を開けています。国道20号・追分の分岐路から隘路のつづら折りを辿っての峠道は、モダンな佇まいを残す隧道に導かれています。登録有形文化財指定の隧道は、この地の要衝を支えてきた語り部でもあります。 【写真】モダンな佇まいを残す旧道笹子隧道を見る(全4枚)
一見の価値あり!登録有形文化財指定のモダンな坑門
旧笹子隧道は昭和13年(1938年)に竣工され、昭和33年の新笹子隧道、現在の国道20号の新笹子トンネル開通までの山梨~東京間を結ぶ幹線トンネルでした。普通自動車で二車線分に満たない幅員の隧道は距離にして約240m。甲州街道にあって一番の難所と言われ、山梨以西の中部山岳地域にとって、このトンネルは生命線でもありました。その思いは坑門の意匠に現れています。 両脇に二本並びの柱形状の装飾と、トンネル上部の持送りアーチ状装飾など、洋風建築のモダンな佇まいを大月側坑門は残しています。ちなみに反対側の甲州市側はその意匠を施す前の素の状態で保存されています。
平成11年に登録有形文化財に登録された笹子隧道
大月市側に設置されている笹子隧道の銘板には「昭和三三年、新笹子トンネルが開通されるまでこの隧道は、山梨、遠くは長野あたりから東京までの幹線道路として甲州街道の交通を支えていました。南大菩薩嶺を超える大月市笹子町追分(旧笹子村)より大和村日影(旧日影村)までの笹子峠越えは、距離十数キロメートル、幅員が狭くつづら折りカーブも大変多いためまさしく難所で、遙か東の東京はまだまだ遠い都だったことでしょう」と記されています。 隧道内は照明はないものの美しく保守されています。時間があれば一度駆け抜けてみてはいかがでしょう。歩いてならヘッドランプがないと心霊スポット級にゾワゾワっと来るかもしれませんが。また大月市側と甲州市側とで坑門のビフォーアフターを見比べるいい機会かもしれませんね。平成11年(1999年)にこの隧道は登録有形文化財に指定されました。
ソトラバ編集部