スプーン曲げ少年をめぐるマスコミの暴走 ユリ・ゲラー「超能力ブーム」はなぜバッシングに変わったのか
マスコミにありがちなこと
もとより当時、超能力をテーマにした番組自体がほとんど存在していなかった。超能力という言葉も一般的ではなく、不思議な力は念力とか霊能力という宗教がかった言葉で語られていた。ユリ・ゲラーの番組は、科学者を同席させることで、超常現象に科学的な装いをさせ、実験や検証の俎上に載せるようなイメージに転化したのだ。超能力はあくまでも人間が持っている自然の能力の一つなのだ、と視聴者にうったえたのである。 超能力ブームへのバッシングについては、「マスコミにありがちなこと」だと三上は言う。 「自分の中の世界観や価値観が、超能力があることによって揺らぐことを本能的に嫌うことが、大衆心理としてあると思う。ただ面白いと捉えるだけではなく、あったら怖いと思ってしまう。それがバッシングにつながるんです」 ユリ・ゲラーの超能力は、はたしてトリックなのか本物なのか。ユリ・ゲラー本人も参加したスタンフォード研究所の実験など、これまで数々のアカデミックな実験が行われてきたが、結局のところ決着はついていないという。 「実験によって有意なデータが出ていると主張する科学者もいれば、ありえないと頭から否定する科学者もいる。そうこうしているうちに、現象そのものを探求するという本質から外れて、学者同士の派閥争いや、政治的な論争になってしまう」 超能力の肯定・否定論争を追及していくと、不毛な場所へとたどり着く。それは昭和40年代後半から変わらずに続く、超能力論争の定められた道筋らしい。
オウム事件で変化した取り上げ方
ユリ・ゲラーの番組を発端にした超能力ブームは、昭和50年代にかけて、UFOや心霊写真、守護霊やネッシーなどの世界へと移行し、木曜スペシャルの番組がそれらのブームを牽引したが、オウム事件を機にテレビ番組の超常現象の取り上げ方は変化した。 いま超能力やUFOを取り上げる番組は、そのほとんどが完全なバラエティ番組と化している。肯定派、否定派の論者たちが、“トンデモ論争”を台本どおりに面白おかしく繰り広げ、それをお笑いタレントたちが煽って盛り上げる。真実か否かはそこでのテーマではない、主体はあくまでもトークなのだ。 そこには純粋に未知の力について、空想や夢想を楽しむ余地はない。怪しげでありながら、一方で胸を躍らせるあの不思議な力は、もうどこかに消え去ってしまった。 「いま、当時のような番組をつくろうとしても、まず企画が通らないでしょうね」と矢追は苦笑する。 「みんな官僚的になって、自分のポジションを失いたくないから。冒険をしたくないという現れなんじゃないかな」 では、彼が番組を通じて残したものとは何だったのか。 「常識的に考えたら起きないことも起こる場合がある、という可能性を見せたことでしょうね。こうだと決め付けられたものが、実はそうではないこともあるんだ、という僕の思いが、番組を通して少しは伝わったと思っています」 最後にこんな質問をしてみた。これまで自身でスプーン曲げに挑戦したことはあるのだろうか。 「スプーン曲げですか? 遊びで皆とやることはあるけれど、一人で真剣にやったことはないですね。だってスプーンが曲がったからといって、それでどうなるの? スプーン曲げは、単なるきっかけなんです。そういう世界もあるんだ、ということに気づくきっかけに過ぎない。だから自分でスプーンを曲げることには、あまり関心がないんですよ」 *** そもそもなぜ、矢追氏はUFOや超能力に関心を抱いたのか。第1回【「ユリ・ゲラー」テレビ初出演から50年…矢追純一氏が語った「特番の舞台裏」と「超能力ブーム」】では、ユリ・ゲラー特番をつくった意図や少年時代の苦難が元になった独特の価値観などについて、矢追氏自身が明かしている。 上條昌史(かみじょうまさし) ノンフィクション・ライター。1961年東京都生まれ。慶應義塾大学文学部中退。編集プロダクションを経てフリーに。事件、政治、ビジネスなど幅広い分野で執筆活動を行う。共著に『殺人者はそこにいる』など。 デイリー新潮編集部
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