スプーン曲げ少年をめぐるマスコミの暴走 ユリ・ゲラー「超能力ブーム」はなぜバッシングに変わったのか
非難されるべきはマスコミの側
これら一連の超能力バッシングについて矢追は語る。 「週刊朝日の記事が出たとき、僕はUFOの取材でアメリカに行っていたんですが、上司から電話があって、“帰ってきて釈明しろ”と言われた。バカバカしいから嫌だと断りましたよ。取材も途中だったし、誰もが100%否定も肯定もできない超能力というものに、一部の人たちが反対しているからといって、なぜ釈明する必要があるのかと。そもそも週刊朝日の記事は、超能力はないという前提に立っている。論争をする意味はないし、そんな騒ぎには巻き込まれたくなかったんです」 それよりも矢追は、S少年を糾弾した当時のマスコミの体質に義憤を覚えたという。 「マスコミの大御所が、仮名とはいえ誰もがわかるようなかたちでS少年を取り上げて、連続写真まで載せてウソツキ呼ばわりした。今ならば殺人を犯しても少年ならば匿名ですよ。そんなことをしたらその子の将来はどうなるのか。S少年は案の定、その報道のために一生を棒に振ってしまったんです。そのときマスコミの“暴力”に対して、なぜ誰も文句を言わなかったのか。非難されるべきはマスコミの側なのに、世論はそちらに向かわなかった。日本とはそういう国なのだと、とても残念に思いましたね」 マスコミから抹殺されたS少年は、成人してからもまともな職につけず、その後、大麻取締法違反で逮捕、執行猶予中に窃盗と無免許運転で逮捕され、1年半の実刑判決を受け服役したという。
「誰にでもある力」という呼びかけ
それはマスコミを暴走させるほどの、異常なブームだった。 UFOや超能力、古代文明や神秘を扱う月刊誌「ムー」(学習研究社、編集部註:現在は株式会社ワン・パブリッシングに移管)の三上丈晴編集長も、当時テレビの前でフォークを握りしめていた一人である。 「まだ幼稚園児でしたが、記憶は鮮明にありますよ。小さなフォークを持ってきてテレビの前で曲げようとしました。いや、曲がらなかったけれども、強い印象を受けたのを覚えています。壊れた時計の針がくるくる回っている映像とかもね。ユリ・ゲラーの番組は、その後の自分の人生に影響を及ぼしたといっても過言ではないですね」 なぜユリ・ゲラーの番組は、社会現象になるほどの超能力ブームを巻き起こしたのか。三上はこう分析する。 「あの番組が、単にユリ・ゲラーの超能力を紹介するものであれば、あれほどの騒ぎにはならなかったと思います。ところが紹介だけではなく、“これは誰にでもある力なんですよ”と語りかけたところがミソだった。『パワーを下さい』『一緒にやりましょう』『テレビの前の皆さんも参加してください』と視聴者に呼びかけた。『奇跡はあなたにも起こる』という語りかけが斬新だった。手法としては、舞台から客席に呼びかけるショーなんです。そういう意味で、彼はパフォーマンスが非常に上手な一流の“ショーマン”でしたね」 ブラウン管の向こう側から視聴者に語りかけ、未知の力(それが何であれ)を媒介にして、強制的に番組に参加させてしまう。今ならばインタラクティブ(双方向)放送とでもいうべきものだった。視聴ではなく体験。だからこそ、視聴者はあれほど熱狂したのだ。