鳥居で懸垂、放火容疑……日本文化を踏みにじる「傲慢インバウンド」 観光公害の末路? 他国軽視の背景とは
日本人観光客の過去と今
先日、X(旧ツイッター)でブラジルの景勝地・ボイペバ島で起きた事件が話題になった。 イスラエル人の男が黒人の荷物運搬係を「猿」と呼び、攻撃したとして人種差別的侮辱および憎悪犯罪の容疑で現行犯逮捕された。この事件は、観光地における権力関係の歪みや、自国の経済的優位性や文化的優越意識が影響している。 この事件は観光地での差別や暴力の本質を浮き彫りにしており、私たち日本人にとっても他人事ではない。かつて、高度経済成長期において、日本人観光客は東南アジアを「後進国」と見なして侮辱し、 「買春観光」 の目的地として扱った。経済大国としての傲慢さが、アジアの人々の尊厳を踏みにじったのである。その結果、日本人観光客は「エコノミック・アニマル」と揶揄され、アジア諸国から強い反発を受けた。 そして今、歴史は皮肉にも逆転している。戦後、進駐軍に「ギブミーチョコレート」と駆け寄った時代があったが、現在では、日本が見下され、訪日観光客がサービスを「買う側」の特権として振る舞う時代になってしまった。 繰り返される外国人による迷惑行為は、日本がそうした国だと見られている証拠といえるだろう。
富裕層観光戦略の限界
この歴史の教訓を踏まえ、私たちはどのような解決策を選ぶべきか――。 ひとつの選択肢は、「観光立国」として成長を目指しつつ、その質的な転換を図ることだ。観光地としての付加価値を高め、文化的理解と敬意を持つ訪日観光客を選んで受け入れる戦略である。代表的な例として、富裕層をターゲットにした「プレミアム観光」が挙げられる。 北海道ニセコは、その成功事例としてよく知られている。スキーリゾートとして世界的に評価され、オーストラリアや欧米からの富裕層を引きつけることに成功した。質の高いサービスと適切な価格設定により、文化的摩擦も最小限に抑えられている。この成功を受けて、全国各地で富裕層向け観光戦略が広がりつつある。 しかし、この戦略には根本的な疑問も残る。経済力の有無が、 ・文化的理解 ・敬意の深さ に比例するのだろうか。富裕層だからこそ持つ「何でも金で買える」という特権意識が、新たな形の文化的支配を生む可能性もある。富裕層が文化的素養に優れているとは限らない。結局、彼らの財布を当てにして「猿」として扱われる状況を招くかもしれない。 こうした富裕層戦略には限界があるため、もうひとつの選択肢として 「観光地からの撤退」 が浮上してくる。この考え方を最もよく示しているのが京都市だ。京都は現在、世界中から訪れる観光客で混雑し、マナー問題も後を絶たない。しかし、注目すべきなのは、観光産業が京都経済に占める割合だ。 京都は世界的に有名な観光地であるが、実際には観光産業が地域経済の主役にはなっていない。具体的な数字を見てみよう。