あいちトリエンナーレの「表現の不自由展」問題 あえて「前向き」に考えてみる
愛知県で開催中の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」の問題は、中止されていた「表現の不自由展・その後」の再開を県が目指す方向となる一方、文化庁が国の補助金を交付しないと決定するなど第二、第三の波紋が広がっています。現状の事実関係と問題点を整理しつつ、残りわずかな会期を踏まえて前向きに捉えられる可能性はないかを探ってみます。
「検閲」か「検閲的」か、混乱助長させる文化庁決定
県が設置した第三者機関(あいちトリエンナーレのあり方検証委員会)ではさまざまな事実検証や分析がなされ、9月25日に中間報告が一応まとまりました。 この報告を受けた愛知県の大村秀章知事は「条件が整い次第、すみやかに展示再開を目指したい」と表明。しかし、その日の夜に文化庁の補助金不交付の方針が報じられ、翌日には萩生田光一文部科学大臣が正式決定を発表しました。文化庁の担当部署によると、決定は愛知県の中間報告が出るタイミングを見計らったが、その内容を反映したものではなく、決定に関わる調査などはすべて文化庁内で対応したそうです。ただし、文化庁職員が直接、トリエンナーレ会場に出向いて展示物や構成を見たわけでもないとも明かしました。 萩生田大臣は愛知県側の申告や運営の不備を不交付の主な理由に挙げ、「中身(展示内容)について文化庁は関与していない」「検閲には当たらない」と説明しました。しかし、これを額面通り受け止めるのは難しいでしょう。これだけ「中身」が議論を呼んだ一部の展示を含む運営に対して、全額不交付という重い決定です。当然、中身にも判断が及んだ、あるいは過剰反応をしたと受け取られても仕方がありません。 また、今回は「検閲」の有無や定義が議論の的となってきました。憲法解釈や判例による厳密な検閲行為でなくとも、それにつながりかねない政治家の「検閲的」な言動に問題はないのか。検証委は今回の展示中止判断が「表現の自由(憲法第21条)の不当な制限には当たらない」と結論づけた上で、名古屋市の河村たかし市長の発言など「政治家の発言は内容によって圧力となりえ、広い意味での検閲とも言いうるので、慎重であるべき」だとしました。一方で、芸術監督の津田大介氏や不自由展の実行委員会がキュレーターの作品選定までを検閲だと主張するのは「検閲の超・拡大解釈」(上山信一副座長)だと指摘。つまり、「検閲的」の中でも問題となる範囲が絞られていました。 今回は、こうした議論に照らせば、まさに国の政治決定であることから「広い意味で問題となる検閲」と言えなくもありません。少なくとも、整理が付きかけていた議論を再び混乱させ、国が自らの立場を疑わせる悪手だと言えます。文化庁は今のところ、簡単な経緯などを記した5ページほどの報道発表資料をホームページで公開している程度です。不交付決定に至るまでの審査の過程と結論について、もっと公に説明を尽くすべきでしょう。大村知事が裁判に訴えると主張するのも致し方ないことのように思えます。