農的な暮らし(3完)自分の手で収穫した米を食べる「一汁三菜」の幸せ
「田舎暮らし」に憧れる若い世代が増えているという。その夢を突き詰めれば、必ずと言っていいほど「自給自足」という言葉が出てくる。20世紀型の大量生産・大量消費社会が都会に人々を吸い寄せてきたとすれば、21世紀を迎えて16年も経った今、これまでと違う暮らしを求めて逆の動きが出てきたとしてもなんら不思議ではない。かくいう筆者自身も、長野県の山奥に移住して5年目を迎え、来春あたりからジャガイモ畑でもやってみようかな、と思っている。 【写真】農的な暮らし(2)自然農の田植えで「日本の農」の原点に触れる そんな折、琵琶湖にほど近い滋賀県の田園地帯で、経済活動としての「農業」ではなく、「農的な暮らし」を追い求めている人たちがいると知った。自らを「ノラノコ(=野良の子)」と呼び、農薬を使わない手作業による米づくりに力を入れている。地域コミュニティを飛び出し、県外を含む各地から20~40代を中心とした若い世代が定期的に集まって野良仕事をしているという。手作業による稲作は、日本の「農」の基本中の基本だ。「いつかは自給自足」を夢見て、僕も体験的に彼らの「ノラノコ・プロジェクト」に参加させてもらった。(内村コースケ/フォトジャーナリスト)
貴重なお米を手にして思案したこと
先月、「ノラノコ・プロジェクト」の中心メンバーの亥川(いかわ)夫妻から、「朝日」の新米が送られてきた。本来であれば、半分取材という形で田植えと収穫というおいしい場面にしか立ち会っていない僕に、収穫物をいただく権利はない。正式な参加メンバーの間で、作業量に応じて収穫したお米を分配するというのが、ノラノコの流儀だからだ。 前回の「田植え編」で書いたように、ノラノコのお米は、無農薬・不耕起栽培で育てられた「朝日」という“幻の品種”だ。倒れやすいこの品種を手で植えて無農薬で育てるには、どうしても植える間隔を広めにとらねばならなず、そのため一般的な流通目的のお米よりもだいぶ収穫量が少ない。田んぼも一反弱と小規模だ。しかも、今年は収穫後の天日干しの最中に稲架(はさ=干し台)が倒れ、一部のお米がダメになってしまったと聞く。つまり、かなり貴重なものを無理を言って分けてもらったのだ。 この連載を「食べてみた」で終えることは、早い段階で決めていた。問題は、どうやって食べるかだ。貴重なお米をご好意でいただいたからには、単に試食という感じにはしたくない。「ノラノコ・プロジェクト」の真意は、昔ながらの農作業を通じて、自然に寄り添った暮らしを探ることにある。僕ももちろん、そういったコンセプトに共感する一方、より具体的には日本の「農」の基本中の基本を体験させてもらったという思いがある。お米は言うまでもなく、和食の核である。だから、食べる際にも、ベーシックな和食としてノラノコのお米を食べたいと、お米が届いてから思案していた。 結局、いただいた「朝日」の玄米と白米には1か月半ほど手をつけなかった。これにはちょっとした訳がある。「自分たちの手で『つくる』ことを通して生きる力を育む」というのが、「ノラノコ・プロジェクト」のコンセプトだ。生業としてプロフェッショナルに農業に携わっている人からすれば、随分と青臭い言葉に感じることと思う。僕も、現実から目を背けてフワフワと夢のようなことばかり追っているものには、全く興味がない。理想とは、冷静に現実を把握したうえで失敗を重ねながら自らたどり着く場所だと思っている。ちょっと能書きめいてしまったが、要は、理想をちゃんと実現しているノラノコのお米とそのコンセプトに敬意を表して、メインの一品だけでも「自分の手で確保しよう」と、時期を待っていたのだ。 僕は5年前から長野県の蓼科高原に暮らしている。元は都会っ子なので、自然に対しては素人だ。でも、ここで暮らすようになってからは、東京湾での経験も手伝って、渓流釣りにはそこそこのノウハウが備わったと自負している。山の斜面にある家の目の前の谷底に小さな沢があり、その「ホーム」であれば「おかず」はほぼ確実に手にできる自信はある。ただし、禁漁期間は明けているとはいえ、凍てついた真冬の川が、ある程度温まないことには話にならない。標高1300メートルの谷あいを埋めた雪が消えるのを待った結果、今シーズン初めて竿を出したのは3月の半ばを過ぎてからだった。