雅楽師・東儀秀樹さん 25歳でがん宣告、コンサート前日の大事故…3度死にかけても楽天的でいられる理由|STORY
――さて、どう探ればいいですかね~。 よっぽど親しくないと教えられませんね(笑)。
死にかけた経験も。でもメンタルで苦労したことはなかった
――東儀さんの人生哲学は、死に直面した時に生まれたのですか? いや、たぶん、そういう感覚や考え方というのは性格的に持って生まれているんだと思います。そうでなければ、25歳の時にがんで「あと1年で死にます」って言われたら皆、動揺するじゃないですか。でも、その時ですら僕は全然動揺しなくて、「死ぬんだなぁ~。よし! じゃあ1年間精一杯生きて生き切って満足して死ねば、僕は充分な人生を歩んだことになるんだ」ということを感じたんです。がんの経験があったから色々頑張ったとか、乗り越えたという苦労が何もないんです。メンタルでは苦労した記憶がないぐらい楽天的に生きています。 ――子どもの頃からそういう感覚だったのでしょうか? 子どもの頃は、もっと心配性だったし、怖がりでした。緊張して人前で喋るなんてできず、あがり症でした。文章を書くなんてこともできなかったですし。自分の目指す音楽を見つけて、人にはない自分のオリジナルなものができてきた時に、「僕以外に絶対にできないことをやっているんだ」というのを感じて、いつの間にか、ものすごく自信がついてきたんです。 雅楽の家に生まれたから、説明を求められた時に自分自身のことに重ねて、日本の歴史や雅楽の歴史のような大きな話をすることに対する責任感がどんどん育っていったんですよね。「間違えて伝えちゃいけない」とか、「知らない人に新しい価値観を知らせる役目を持っているんだ」という自覚がデビューしてからどんどん芽生えてきて。そうすると、伝える面白さを知るようになって、「どういうふうにしたらこの人には簡単にわかってもらえるだろうか」とか、「子どもだったらこういう言い回しをしたらわかりやすい」、「年配だったら、あの例題を使って話せば伝わりやすい」などということが頭の中で回転し始めてきたんです。そうやって各年代の感覚がわかるようになると同時に、自分の精神分析もいつの間にかできてしまっていたんでしょうね。 ――お役目、と言うべきでしょうか。 僕は3度も死にかけて生きてるので「神様に生かされてるんです」と、よく言われるんだけれど「神様が、この人は音楽的に大切な人だからと生かしてくれるんだったら、事故の前に止めてくれ」って思うんですよ(笑)。なのに、がんにさせたり、危険な目に遭わせるのはどうしてかと考えたら、今、まさにしているように、その体験をもとに自分が感じたことを人に話すお役目があると思ったんです。実際にがん宣告を受けたとか、肋骨を7本折ったとか、首の骨が折れる直前までいったとかいう人が、「それでも大丈夫だったんだよ。なぜなら、こういうふうにしたからね」と、言うのってすごい説得力があるんです。だから、伝道師としての役割も与えられているのかなとも思います。 ――リアルな体験談なので励まされる人も多そうです。 そう。だから、いじめにあっている人とか、病気で悲しんでいる人とか、事故で心配している人とか、東にそういう人がいれば飛んでいきたいと思いますし、西にいれば西にすっ飛んでいきたいと思っています。