雅楽師・東儀秀樹さん 25歳でがん宣告、コンサート前日の大事故…3度死にかけても楽天的でいられる理由|STORY
コンサートでは親子でロックと雅楽のコラボレーションを披露。
多面体の魅力はどこから?
――大事故で大怪我した翌日がコンサート。家族からバイクも反対されたり、落ち込んだりしないのですか? 病気や事故で死にそうになったことはあるけど、「あんなこと2度と思い出したくない」とはならず、いつでもその様子を語って人を驚かすことができるんです。ここまでイキイキ楽しんでいると、反対したところでまたやる性格だっていうことも皆わかっているから、「反対してもしょうがない人」という認識が昔からあります。 母がものすごく心配しているのもひしひしと伝わるんですけど、我慢して言わないでいてくれているのも感じるんです。今まで3回ぐらい死にかけて、死に直面したことがあっても落ち込む事もなかったんです。「そうか、死ぬのか」と。「まぁ、それはそれで受け入れよう」と、受け入れてしまっていたこともあったし。交通事故で本当に死ぬかもしれないっていう時の翌日がコンサートだった事もあって。でも指は動くし、息はできるからコンサートはできると信じてコンサートに行きました。大事を取った方がいいと皆は言うんですが、意思があって体が動くってことはその先に行けるのだから止まっているのが勿体無いし、止まっている自分を見たくないというせっかちな気質なのでしょうね。 中止にするだろうという皆の予想を裏切って驚かせようというのもありました。いつでも転がり続けて、どんなに悪いことがあっても転がっている自分が自分らしいと思っているから、へこたれないです。交通事故で救急車で運ばれた瞬間も、「あ! しまった!! 自分の事故現場を写メするの忘れたっ!」っていう感じでした。死にそうな現場を被害者本人が撮ったなんていう大スクープなど前代未聞だから、ちょっと失敗したなぁ。って考えてましたね。 ――そのユーモアも備わったものなのでしょうか? そうですね。昔から、おかしなことがすごく好きなんです。人を笑わせるのも煙に巻くのも好きですし。だからマジックも得意なのですけどね。嫌なことがあると、人ってしばらく嫌な気持ちを持ち続けるのだけど、何年かすると「あの時ヒドくてね」とか、「こんな目にあったよ」と、尾ヒレをつけて脚色して笑って楽しんでそのことを伝えられるようになるんですけど、僕の場合はそこに至るまでの期間がすごく早いんです。どうせ面白く話すなら、早く話さないと勿体無い! 死にそうになったことで人を驚かそうとワクワク喋ることが多いのだけど。 ――ユーモラスなのに宮内庁にお勤めされていた時は、我慢して真面目に過ごしていたのですか? 面白いことが大好きだけど、正当なこと、真面目なこともすごく好きなんですよ。例えば、ハイソサエティーの方々との食事会があれば、誰よりもマナーもきちんとするように心がけています。フォーマルな場も堅苦しくて嫌だとは思わず、従順でいます。だけど、そればかりでは面白くないから、宮内庁に在籍していた時は、自分の個室にスケボーを持ち込み、シンセサイザーや録音機を隠し持っていたりしましたね。ピアノカバーで隠しておいて。師匠と一対一で楽器のお稽古をした後に自主練習をどれだけするかが問題なのだけど、僕の場合は先生が去った瞬間にササッと楽器をしまって、隠していたプラモデルを出してずっと作っていたりとか。お稽古が大っ嫌いだったので、自分なりに隙間を見つけて緩い部分と堅い部分を行ったり来たりしてました。自分らしさもそういうところで出していましたが、それがまた最終的に色々なところで活かされています。 ――そこで型にはまってしまっていたら、また違ったかもしれないですね。 そうですね。多面体でいていいと思っているから。人って勝手に人のことを先入観で位置付けしようとするでしょう? 東儀秀樹っていうのはすごく堅苦しくて、気難しくて、ちょっと怖くて、絶対冗談なんて言わないんだろうなぁ、というイメージで。でもそういう部分も僕は持っているし。で、そういう人が何か変なふざけたことをしていたりすると「ガッカリしました」とか、「イメージと違う」とか言う人もいるのだけど、無理してユーモラスなことをしてるわけじゃなくて、面白いのが好きだから地でやっているわけだからね(笑)。だから、僕のことを近くで見てわかってくれている人は、「めちゃくちゃ東儀さんらしいね」と言ってくれます。バカ話をして大笑いしてるのも、らしい、と言われます。人それぞれ、捉え方が違いますが、僕が指定することではないから放っておいています。 ――全部合わせて東儀秀樹さん、ということですね。 そう。メディアはね、決まったところしか出さないし。本当は悪いところもいっぱいあるんだけど絶対メディアには出てないしね。いけない部分があるんですよぉ~(笑)。