平城京の栄華を偲びながら訪ねてみよう! 西ノ京 奈良市内の世界遺産・薬師寺
奈良県には重要文化財や世界遺産が数多くあります。今回は1998年に8件同時に世界遺産登録となった奈良市の歴史の現場をご紹介しましょう。 ■古代日本の中心として栄えた平城京 奈良県最北部の奈良市は、西暦710年に日本の首都となった平城京のあった場所で、元明・元正・聖武・孝謙・淳仁・称徳・光仁・桓武各天皇が住まわれた場所です。聖武天皇の時代には恭仁・難波・紫香楽と転々と遷都をしますが、やはり平城京に環都(かんと)します。桓武天皇が長岡京に遷都する784年まで、奈良は京(みやこ)として栄えていたのです。 あをによし 奈良の都は咲く花の 匂うがごとく今盛りなり 有名なこの万葉歌は、小野老(おののおゆ)という人が、遠く九州の太宰府で詠ったものです。 明日香や藤原京から日本の首都が引っ越しをするわけですから、人々の引っ越しも大変だったでしょう。また、旧来の由緒を持つ大寺院も平城京に引っ越してくるのです。 今回は世界遺産に登録されている古刹の中から、薬師寺をご紹介しましょう。 薬師寺は天武天皇が皇后、鵜野讃良々皇女(うののさららのひめみこ=持統天皇)の病気を平癒するために680年に発願(ほつがん)した大寺で、もとは藤原京にありましたが平城京遷都に伴って718年に現在の位置に引っ越してきたのです。藤原京の寺はしばらく併存していたようですが、現在は「本薬師寺(もとやくしじ)」と呼ばれてその寺跡が残っています。 薬師寺は平城京の右京中央付近に建立されていますので、近鉄橿原線の西ノ京駅で下車すると目の前に広がります。細い道路を東に100mも歩くと、右側に薬師寺白鳳伽藍の北門があります。ここから境内に入りましょう。 自家用車や観光バスでお越しの方は、薬師寺の南側に広大な駐車場がありますので、そこから北に歩きましょう。するとすぐに「休ヶ岡八幡宮(やすみがおかはちまんぐう)」という神社があります。1000年以上、薬師寺を守る八幡様です。ここには僧形八幡神坐像を中心に、三体の国宝が祀られています。社殿は慶長八年(1603)に豊臣秀頼が寄進したもので、重要文化財です。 次に「孫太郎稲荷(まごたろういなり)」があります。ここは食料を守るお稲荷様です。薬師寺南門はもう目の前です。 小さな瑠璃橋(るりはし)を渡ると、午前9時に北門と同時に開門する薬師寺の南門がありますので入りましょう。そして華麗な白鳳伽藍の中門をくぐります。 白鳳伽藍は正面が金堂で、三重塔が東西にあり、その中央に大きな灯篭があります。この二塔一金堂形式は、薬師寺が最初だといいます。国宝の東塔は創建時から残る唯一の伽藍で、西塔は1981年に復元されました。実は金堂も1976年に再建されたものなので、東塔以外の薬師寺の堂宇はとても美しい色彩を放っています。 というのも、歴代薬師寺管主の願いは「薬師寺の金堂や西塔、そのほかの雄大な伽藍を再建したい」という事でした。その願いを高田好胤(たかだこういん)127代管主が楽しく面白い法話とお写経勧進という手法で実現したのです。 なぜ白鳳伽藍と呼ばれるのかというと、平城京の右京に遷された薬師寺の堂宇は、天武天皇時代の本薬師寺とそっくりの白鳳式で建立されていたからですが、それも東塔が残っていたのでよくわかるわけです。奈良時代は天平文化ですから、薬師寺では一文化古い時代の伽藍意匠を拝見することができるのです。 堂宇もそのように見ごたえのある薬師寺ですが、金堂に安置されているご本尊の薬師如来坐像と両脇に立つ脇侍(わきじ)の日光菩薩と月光(がっこう)菩薩の三尊像は素晴らしい仏像です。 薬師寺によると、薬師如来が院長先生で、日光菩薩は昼勤の看護師、月光菩薩は夜勤の看護師で、24時間体制で病魔と闘ってくださっているといいます。面白い例えで、よくわかるので修学旅行生には大うけだそうです。 そもそも薬師信仰は、現代のような大病院や最先端の医療が何も無い時代のさまざまな病気や怪我を治すために人々がすがった如来様で、現世利益の最たるものだと感じます。 しかしある法話によると、満中陰(まんちゅういん)まで修行をした亡者が旅立つときに薬瓶を持たせてくれるのもまた薬師如来で、そもそも病根とは悩みや不安をも含むので、人々が生きていくうえにも、あの世に旅立つときにも、もっともお世話になる仏さまだと仰います。なるほど、面白いですね。 薬師寺は興福寺と並んで法相宗(ほっそうしゅう)の大寺で、この法相宗の生みの親ともいえる実在の人こそ、あの『西遊記』の主人公である玄奘三蔵法師(げんじょうさんぞうほうし)なのです。物語では孫悟空や猪八戒に沙悟浄を連れて、魑魅魍魎(ちみもうりょう)の跋扈(ばっこ)する西域天竺(てんじく)への壮大な冒険旅行を全うして経典を持ち帰る聖人とされています。 実際に経典を持ち帰り、その漢音訳を成し遂げるという偉業を達成した高僧で、後に飛鳥寺に住持する僧道昭(どうしょう)は遣唐留学僧で入唐した時、玄奘を師として学んでいます。その道昭は行基(ぎょうき)の師匠でもあります。 薬師寺は、北門の道路を挟んでさらに寺域が広がっていて、南側の白鳳伽藍に対して北側は「玄奘三蔵院」といいます。 「玄奘塔」という八角形の堂宇には「不東(ふとう)」という玄奘の強烈な信念を二文字にした扁額がかかります。経典を手に入れるまでは絶対に東に向かって帰らないという意味です。 そしてこの八角円堂には、玄奘師の遺骨が分骨されているのです。驚きますね! さらに「大唐西域壁画殿(だいとうさいいきへきがでん)」には平山郁夫画伯が三十年かけて三蔵法師の天竺への旅を描いたすばらしい大壁画があります。 ただし、玄奘三蔵院は拝観期間が決められていて、いつでも入れるわけではありませんので必ず事前に薬師寺のホームページなどで公開期間を確かめてから訪問してください。 薬師寺のすぐ北には唐招提寺もありますが、紙面が尽きましたのでまた別稿でご紹介しましょう。
柏木 宏之