【ランボルギーニの世界】トラクターメーカーからスポーツカーメーカーへ 不遜なエンツォへのフェルッチオの対抗心から生まれたランボ物語
ランボルギーニ350GT、ミウラ、カウンタックとその仲間たち:ファクトリーミュージアムの訪問。ランボルギーニの歴史を旅する。ランボルギーニにはポルシェと共通のトラクターの歴史がある。ファクトリーミュージアムで、タウラスブランドの歴史を見てみよう。
トラクターメーカーのランボルギーニがスポーツカーメーカーのランボルギーニになった経緯は、その真偽が争われるほど伝説的だ。不満を抱くフェルッチオ ランボルギーニに敬意を示そうとしなかったエンツォ フェラーリの物語は、イタリアの家父長的ドラマと2人の主人公の傷ついたエゴに満ちている。
とにかく、我々はこの事件の結末にもっと興味がある。それは、ランボルギーニ社が60年前から存在しているということだ。昨年、ランボルギーニの創立60周年が盛大に祝われ、我々も工場のすぐ隣にある博物館を訪れた。
話題性という理由で何度かこの記事を延期してきたが、ついに公開されることになった。幸いなことに、歴史は時を超越し、ランボは現在、かつてないほどの成功を収めている。数え切れないほどの特別モデルが飛ぶように売れており、「ウルス」と「ウラカン」に至っては、大胆な楽観主義者たちの予想をも上回る売れ行きを見せていた。
ランボルギーニの歴史の旅
ランボルギーニというブランドは、一時ひどい状態にあった。ほんの数年前のポルシェと共通する点がもうひとつある。ミュージアムの地下には、「350GT」、「ミウラ」、「カウンタック」と、ブランドの初期のアイコンが並んでいる。快適なグランドツーリングカーとしてデザインされた「GT」は、ブランドの最初の作品であり、実際にはコンセプトカー「GTV」であった。
独立懸架式サスペンションと4輪ディスクブレーキを採用した時代に先駆けたデザインで、魅力的なボディワークはツーリングのフランコ スカリオーネがデザインした。3.5リッターV12、280馬力の初代モデルはわずか120台しか生産されなかったが、後継の「400GT」ではピストンストロークはそのままに、ボア径が拡大された。その結果、3.9リッターで320馬力を発揮するモデルが誕生し、2倍以上の顧客(273台)を獲得した。 1966年には早くも「ミウラ」が登場し、ハイパーカーのカテゴリーを確立した。V型12気筒ミッドエンジンを横置きに搭載し、当初は350馬力、後に385馬力まで引き上げられた。マルチェロ ガンディーニの手による流線型のデザインは、当時最速のスポーツカーのひとつであった。