そもそもなぜ、スギやヒノキだけがこんなに人間を苦しめるのか―日下石 碧『花粉ハンドブック』武田 砂鉄による書評
思えば、敵のことをちっとも知らなかった。知らないくせに憎悪だけをぶつけてはならぬと、鼻にティッシュを突っ込んだまま読み進める。 長年、過度の花粉症である。「今年の花粉はすごいです」といった報道を前に、私たちは「毎年ひどいよ」と切り返してきた。誰かが救ってくれるわけでもない。政治家がパフォーマンスで「花粉症ゼロ」を打ち出したこともあったが、大きな成果はない。耐えるしかない日々が続く。 「昔はなかった」「この時期は海外へ逃げちゃいます」、そんな声も聞く。つまり大した歴史はないし、地域も限定されたものなのだ。『花粉ハンドブック』(日下石碧(にっけしあおい)著・文一総合出版・1980円)を開くと、「スギは戦中・戦後の物資や燃料として、また成長の早い在来の植物として森林が荒廃した場所に好んで植えられました」とある。それは知っている。そもそもなぜ、スギやヒノキだけがこんなに人間を苦しめるのか。 送粉・受粉には様々な形があり、もっとも多いのが、昆虫などに花粉の媒介を依存する「動物媒花」。花をつける植物の9割近くを占めている。スギやヒノキは「風媒花」。風に頼るしかないのだ。 こう書いてある。 “「雌しべには偶然届けばよく、数を打てば当たる作戦のため、生産花粉数は非常に多い」。” まるで、ダイレクトメールを送る業者のような言い分である。スギの1個の雄花に含まれる花粉数は40万粒程度とのこと。多すぎだろう。あなたたちのやり方が無茶だから、こっちの体内にまで入り込むのだ。 しかし、花粉そのものを嫌ってはいけない。花粉がなくなれば「あらゆる植物が種子を生産できなくなり、ほとんどの植物は絶滅してしまう」し、そうなれば、草食動物も絶滅する。「日本でも送粉昆虫に依存している作物の金額は4300億円と試算」されているという。 共存するため、花粉の意義を学ぶ。何枚もティッシュを使いつつ、豊富な写真を眺める。花粉の飛散が収まってくる時期に読むことをお薦めする。敵を知ろう。 [書き手] 武田 砂鉄 1982 年東京都生まれ。出版社勤務を経て、2014年秋よりフリーライターに。 著書に『紋切型社会』(朝日出版社、2015年、第25回 Bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞)、『芸能人寛容論』(青弓社)、『コンプレックス文化論』(文藝春秋)、『日本の気配』などがある。 [書籍情報]『花粉ハンドブック』 著者:日下石 碧 / 出版社:文一総合出版 / 発売日:2023年03月3日 / ISBN:4829981741 毎日新聞 2023年4月15日掲載
武田 砂鉄
【関連記事】
- ストーカーが仕掛けてくる永続的な恐怖を自ら克明に記録。同じ境遇にある人たちの助けにも―内澤 旬子『ストーカーとの七〇〇日戦争』武田 砂鉄による書評
- 「単線」で語れぬ害虫駆除の歴史、丹念に描く―千葉聡『招かれた天敵――生物多様性が生んだ夢と罠』養老 孟司による書評
- ハヤブサが超高層ビルに暮らし、ツバメの巣を乗っ取るスズメも!都会の鳥の驚くべき姿―唐沢 孝一『都会の鳥の生態学-カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽の栄枯盛衰』永江 朗による書評
- 家畜を通しての生き方検討の試み―ヘレン・ピルチャー『Life Changing:ヒトが生命進化を加速する』中村 桂子による書評
- 伝統医療で使われてきた植物を現代でも適切に使うには―モニク・シモンズほか『イギリス王立植物園キューガーデン版 世界薬用植物図鑑』