人生の「道の曲がり角」で読みたいモンゴメリ『赤毛のアン』シリーズ
アンの腹心の友ダイアナ・バリー
ダイアナは、寒い冬の日にアルスター・コートというオーバー・コートを着ています(第25章)。アルスターとは北アイルランドをさす地名で、アルスター・コートは、アルスター地方の毛足の長い毛織物で作った暖かな外套(がいとう)です。 こうした特定の地名にまつわる服をわざわざ小説に書きこむとき、作家は、その地域とそれを着用する人との関連を意識しています。 たとえば日本の小説で、女性が加賀友禅の訪問着をまとっていたら、おそらく金沢出身だろうと読み手に思わせる意図があります。もし琉球絣(りゅうきゅうがすり)の着物を身につけていれば、沖縄にゆかりがある人物と推測できます。 そしてバリー家の信仰は長老派教会です。 アイルランド共和国はカトリック教徒が多いのですが、英国に属している北アイルランドのアルスター地方は、17世紀より、対岸のスコットランドから長老派教会の信者が移り住んでいます。1606年からの40年間だけでも、長老派教会を信仰するスコットランド人が10万人、アルスター地方にきたのです(『地図で読む ケルト世界の歴史』)。ダイアナの家族は長老派教会の信者であり、スコットランド系の北アイルランド人「アルスター・スコッツ」です。
マリラの親友のレイチェル・リンド夫人は北アイルランド系
マリラの親友のレイチェル・リンド夫人は、第一巻『アン』と第四巻『風柳荘(ウィンディ・ウィローズ)』で、アイルランドの諺(ことわざ)を話しています。 『アン』では、「アイルランドの諺にあるように、人は何にでも慣れる、首を吊(つ)られることにさえ」と言います(第1章)。 『風柳荘(ウィンディ・ウィローズ)』では「クリスマスに雪があれば墓場は肥(こ)えない」ためにホワイト・クリスマスになって喜びます(2年目第6章)。この諺の意味は「冬に雪がつもれば、翌年は豊作となり餓死者が出ない」というものです。アイルランドは19世紀半ばに主食ジャガイモの不作などから約100万人が死亡した大飢饉(だいききん)を経験しています。さらにリンド夫人は『風柳荘』で「アイルランドの二重鎖(ダブル・アイリッシュ・チェーン)」というパッチワークのパターンを縫っています。 リンド夫人は熱心な長老派教会の信徒です。そこから夫人も「アルスター・スコッツ」と思われます。スコットランド人が、18世紀から新大陸カナダへ移民したように、「アルスター・スコッツ」も18世紀からカナダへ渡っていった歴史があります。 このように『アン』において、アンと親しい人々は、アンも含めてスコットランド系とアイルランド系のケルト族です。 松本侑子(まつもと・ゆうこ)作家・翻訳家。 著書に、『巨食症の明けない夜明け』(すばる文学賞)、『恋の蛍 山崎富栄と太宰治』(新田次郎文学賞)、『赤毛のアンのプリンス・エドワード島紀行』(全国学校図書館協議会選定図書)、『英語で楽しむ赤毛のアン』、詩人金子みすゞの詩を読解した『金子みすゞと詩の王国』(文春文庫)、みすゞの伝記小説『みすゞと雅輔』など多数。 訳書に、日本初の全文訳・英文学からの引用などを解説した訳註付『赤毛のアン』シリーズ全八巻(文春文庫)など。 2022年と2024年にカナダのモンゴメリ学会で研究発表。カナダ渡航30回。
松本 侑子/文春新書
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