東東京の横綱に上り詰めた帝京、関東一の軌跡~前田三夫と小倉全由、2人の名将~【東西東京大会50周年物語③】
6月15日、第106回全国高等学校野球選手権東西東京大会の抽選会が行われる。今年は東西に分かれて50周年。東京二代表校の歩みを振り返る。第3回は80年代に台頭し、現在の東東京をリードする帝京、関東一の軌跡を中心に見ていこう(文中敬称略) 【一覧】東京 夏のシード権を獲得したチーム・昨年秋と今年の春の都大会4強
帝京黄金時代と、小倉全由監督率いる関東一の台頭
82年のセンバツでは、現監督の市原勝人投手を擁する二松学舎大附が準優勝を果たし、全国にその名を知らしめた。翌年のセンバツでは、帝京が夏春制覇をした池田に0-11で敗北。池田のパワーに押されての完敗であった。帝京はこの敗戦をきっかけにフィジカル強化に取り組んだ。そのことが、その後の黄金時代につながっていく。 83年夏の東東京大会の決勝戦で帝京は、26歳の青年監督であった小倉全由監督率いる関東一を3-2で破り、夏の甲子園初出場を果たす。しかし打倒・池田に燃える選手たちは、東東京優勝にもさほど喜びの表情をみせなかった。帝京は甲子園初戦で好投手と評判の秋村謙宏を擁する宇部商と対戦。1点を争う好ゲームになったが、9回裏に浜口大作に逆転サヨナラ2ランを打たれ敗退した。 84年のセンバツでは、初出場の岩倉が決勝戦で2年生の桑田真澄、清原和博を擁するPL学園を1-0で破り、高校野球ファンを驚かせた。夏の東東京大会では4回戦で二松学舎大附に7-9で敗れている。二松学舎大附は後にミスター・ロッテと呼ばれる初芝清がエースで中心打者だった。決勝戦は二松学舎大附と日大一の対戦になったが、日大一がエース・渡辺英樹の好投で優勝した。 この時代の東京勢のセンバツでの活躍は目覚ましく、85年のセンバツでは帝京が、エース・小林昭則が準決勝で池田を完封し、決勝戦に進出。決勝戦ではPL学園を破った伊野商に敗れたものの、2度目の準優勝。帝京は全国的な強豪校としての地位を確かなものにした。夏の東東京大会でも、帝京は当然優勝候補の筆頭だった。 この年、打倒・帝京に並々ならぬ闘志を燃やしていたのが小倉全由監督率いる関東一だった。関東一は前年の秋季大会の1次予選で帝京に1-10で敗れ、春季大会では本大会の決勝戦で対戦し、2-9で敗れていた。 関東一は東東京大会では準々決勝の日大一戦で7点差を逆転するなどして決勝戦に進出し、帝京との対戦になった。試合前のノックなどをみても、帝京の方が力は上のように感じたが、いざ試合になると関東一が圧倒。12―5という思わぬ大差で勝ち、甲子園初出場を決めた。優勝決定後のインタビューで小倉監督は男泣き。この戦いが、帝京・前田三夫監督、関東一・小倉監督のライバル物語の本当の意味での始まりになった。 なおこの年の東東京大会から江戸川区球場が試合会場に加わった。関東一は校舎が江戸川区にあり、江戸川区の学校が甲子園に行くのも初めてであった。関東一は甲子園では初出場ながら準々決勝まで進出している。
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