70代、「仏壇じまい」を経験して感じたこと。父母を偲ぶ穏やかなひとときが朝のルーティンに
「仏壇」をやめて、私らしいお参りを暮らしの中に溶け込ませた
実家にあったちゃんとした仏壇は、母が東京に越してくるときに、お寺さんに頼んで「仏壇じまい」をすませました。以降は、母が存命のときはマンションのキャビネットの上に、父の位牌と祖父母の命日などをまとめた冊子を、供花やお茶などと共に仮置きしていました。 母の没後は、とりあえずわが家の1階にあるキャビネット上に両親の位牌コーナーをつくりました。そして、考えた末に製品の仏壇を再び買うことはやめて、この場所を定位置に。 位牌を注文する際、父のものと対になるよう大きさや素材を吟味し、お鈴や線香立てなどはセットでなく私が気に入るものを少しずつ時間をかけて探しました。イラストレーターである夫がパステルで描いた抽象画を背景にしたせいか、部屋の雰囲気にもよく合う心安らぐコーナーになったと思います。 同じ1階に仕事場もあり、コーヒーメーカーはそこに置いてあるのでスイッチを入れてから、お位牌コーナーにお水。フタつきのお茶碗もお気に入りのものを使っています。モダンな球形のお鈴の音色は涼やかでよく響き、鳩居堂のお線香の薫りとともに穏やかな朝がはじまります。 そのあとは、モーニングコーヒーと朝刊を持って2階のリビングへ。このルーティンのおかげで、本日もいいスタートが切れました。きちんとした仏壇はやめたけれど、かえって生活の中にいい感じに朝のお参りが溶け込んでいる気がします。 個人の考え、地域の風習、宗教観などがあるので単純ではないけれど、無理なく自然に、その人らしく偲ぶやり方が許されるのではないかと思います。
ESSEonline編集部