【完全版】曽我ひとみさん証言 横田めぐみさんと交わした会話と安否不明の母への想い
■「かあちゃん、今どうしていますか?」引き裂かれた家族
【佐渡に帰郷(2002年)】 帰国できた喜びより、母の行方が分からないショックの方が大きかったというひとみさん。 抱擁する父・茂さん 「ずっと待っとった」 支援者 「お父さん、あんまり喜んで酒あまりたくさん飲まないように」 父親の茂さんは、妻との再会を果たせぬまま、73歳で亡くなりました。 ふるさとに戻り、新たな生活に少しづつ慣れていく一方で、日に日に募るのは母・ミヨシさんへの思い・・・ そして、北朝鮮に残した夫と子どもたちへの思い・・・ 【インドネシアでの再会(2004年)】 離れ離れになって2年、ようやく家族がひとつになりました。 佐渡に住むことになったジェンキンスさんは「ここは日本で君は若い。別れてほしければ僕は別れるよ」と言いましたが、ひとみさんの答えは「NO」だったといいます。 土産物店の店員 「ジェンキンスさん、ブルーリボンのシールを貼っておせんべい用意しています」 佐渡市内の土産物店で働き、観光客の人気を集めたジェンキンスさん。 7年前、77歳で亡くなりました。 ジェンキンスさん 「佐渡ライスおいしい」 当初日本語を話せなかった2人の娘も、今では結婚して独立し、孫も生まれましたが・・・ 曽我ひとみさん 「拉致被害者救出の署名活動を行っております」 今の生活に幸せを感じれば感じるほど、考えてしまうのは、最愛の母・ミヨシさんのことだといいます。 ひとみさんは帰国後、自宅のタンスから見慣れない着物を見つけました。 拉致被害者 曽我ひとみさん(65) 「この着物がしつけ糸がついたままで、タンスの中に入っていまして」 「私が拉致をされたのが19歳なので、母が成人式のためにこっそり準備をしていてくれたものなのかなと」 「やるせない気持ちと同時に、着物を着た姿を母にどうしても見せてあげたいなと」 北朝鮮に向けて家族のメッセージを届けるラジオ放送「しおかぜ」。 ひとみさんは、母・ミヨシさんにこう呼びかけました。 曽我ひとみさん(2017年3月) 「かあちゃん、今どうしていますか?元気でいますか?もうすぐ佐渡は桜の季節になります。時々小学校6年生の時の卒業写真を見ます。いつも、いつも優しかったかあちゃん。1日も早く佐渡に帰ってきてください。私たちはいつまでも、いつまでも待っています」
テレビ朝日