なぜ人類は「近親相姦」をかたく禁じているのか…ひとりの天才学者が考えついた「納得の理由」
「交換のために交換がある」
「姉妹と交叉いとこ」を二項対立の要素として捉えることによって、「インセスト・タブーと婚姻」の役割が明確になります。ある男性は、彼の姉妹とは結婚が禁止されています。つまり、インセスト・タブーの範囲にあります。その一方で、ナンビクワラの男性にとっては彼の「交叉いとこ」の女性を結婚相手(妻)とすることができるのです。つまり、婚姻関係を結ぶことができるのです。「/t/と/d/」が単語の意味を決めるように、「姉妹と交叉いとこ」が家族のありかたを規定するのです。 文化人類学者のマルセル・モースによれば、同一集団の男性のメンバーにとって、女性の「利用可能性」は限定されています。利用可能性が限定された範囲が、インセスト・タブーです。 一方、インセスト・タブーの裏返しとして、自集団の女性を他の集団の男性に送り出します。モース的に言えば、インセスト・タブーの範囲にある女性だから交換するのではなく、交換するためにインセスト・タブーが生まれると言うべきなのです。 社会学者・橋爪大三郎は『はじめての構造主義』の中で、女性や物財の交換に関して以下のように述べています。 必要があるから交換がある、のではなく、交換のために交換がある。人間は“交換する動物”なのだ。必要に迫られて、人間は言葉をしゃべったわけじゃない。言葉をしゃべるのは、まったく無償の行為だ。それと同時に、人間には、人間だけのものである豊かな意味の世界がひらけたのだ。ソシュールが、言語記号のことを、物質的な世界に縛られない恣意的なものだと言ったのは、そういういみですよ。同じように、女性を、物財を、交換するのも、必要に迫られてのことじゃない。そうするのが、人間らしいことだからだ。(橋爪大三郎『はじめての構造主義』講談社現代新書、1988年、102―103頁) 様々な社会で人々が交換するのは、交換することで利益を得ようとか、相手を喜ばせるためであるとかではありません。そうではなくて、まずは交換されるという「現実」があるのです。人々は、そういうしきたりがあるために、交換を行っているのです。そしてその交換の体系には、人間が生きている秩序を成り立たせる「構造」が潜んでいます。交換もまた、私たちが何気なく喋っているのに、そこには厳密なルールが隠されている言葉と同じようなものなのです。 さらに連載記事〈日本中の職場に溢れる「クソどうでもいい仕事」はこうして生まれた…人類学者だけが知っている「経済の本質」〉では、人類学の「ここだけ押さえておけばいい」という超重要ポイントを紹介しています。
奥野 克巳