温泉旅館一棟借りアイドルライブ 老舗旅館が閑散期に仕掛けた集客策
一旅館が主導する「温泉おこし」の芽
もう一点気になるのが「音漏れ」だ。旅館こいとはあくまで「普通の旅館」。ライブハウスのような防音設備が整っているわけではない。出演グループはアイドルの中でも、爆音ロック系が中心。しかも、音響周りを担当するソニックプロジェクトは、野外で使うようなハイパワーな巨大スピーカーに本格的なPA機器をそろえている。 旅館の大広間とは思えないほどの重厚な爆音サウンドは、冗談半分にせよ、長年ライブを主催してきた小林氏をして「都内の老舗ライブハウスと聞き分けが困難」と言わしめるほどのクオリティーだ。 筆者があえてライブ中に旅館の外に出てみたところ、確かに知っている曲であれば曲名がはっきり分かるほどに音が漏れ出ていた。すぐ隣には別の旅館も建っている。建物が密接している街の中心地ほどではないが、それなりに住宅地も近くにある。 大音量の音楽が外に漏れ出て周囲の旅館や民家に迷惑をかけないのか、といった点は初回開催前の宗像氏にとっても気がかりだった。 「苦情は出ないのか」という問いに対して宗像氏は、「むしろ、『もっとやってくれ』と言わんばかりの勢いで支持してもらっている」と言う。もともと、コスプレイベントなどで商店街や他の旅館から協力と信頼を得ていた実績がここで役立っている。 それ以外にも、飲酒を許可しているイベントなので、客同士のトラブルなどの懸念もある。この点については、イベント主催の小林氏が普段からブッキングしている各グループのファンの特性を熟知しているため、「とくに心配はしていなかった」(小林氏)。「過度にやんちゃな若いファン層が中心のグループはブッキングしない」(小林氏)というポリシーの下、予防策が練られていたということだ。 初回の開催時にはこうした懸念点を丁寧に検証し、周囲の関係者からの理解を得て実施した。そのため、24年開催の第2回では「だいぶ慣れた」(宗像氏)と言う。受け入れるアイドルファンという人種に対しても、コスプレの世界で「オタク」に慣れていたため、「不安はなかった」(宗像氏) ●ハワイアンズに次ぐ新しい集客の柱が必要 実はいわき湯本温泉は、これまでも異文化を生かした集客策に取り組んできた。車で10分ほどの距離に、「フラガール」で一斉を風靡(ふうび)した「スパリゾートハワイアンズ」がある。今でもハワイアンズ目当てで宿泊する客の絶えない「フラのまち」として知られる。 最近は、旅館のおかみたちが着物でフラダンスを踊る「フラおかみ」も有名になっている。温泉イベントも年間を通して数多く開催される。ただ、いつまでもハワイアンズだけに頼っているわけにはいかない。 宗像氏は「いわき湯本温泉は知る人ぞ知る温泉。だが、全国的にそれほど知名度の高い温泉地ではない」と冷静に評価する。それが、コスプレの例ひとつ取っても、SNSによって知名度が「想像以上に上がる」(宗像氏)ことを知った。 アイドルイベントを受け入れた理由の一つに、「のちの違った世界への入り口、予想しない世界への波及効果のような、大きな可能性を秘めた宣伝効果に期待した」(宗像氏)と言う。 平日はビジネスホテルのようにビジネスパーソンを受け入れ、週末には観光客を受け入れる。さらに、閑散期にはコスプレーヤーやアイドルファンが集う場になる。 「趣味嗜好が多様化しているため、今の旅館に求められるのは『(集客の)柱を何本も持つこと』だ」と宗像氏は語る。コロナ禍や季節を問わず、何があっても安定的に旅館を訪れてくれるのが「オタクという人種」と、宗像氏は敬愛の意を込めて「オタク」という呼称を使う。 ただ、そうした世の中に対して認知度の低いイベントを一旅館が開催するためには、「普段からの周囲との信頼関係が大切だ」と強調する。「官主導」の町おこし、地方創生は尻すぼみになりがちだが、こうした「民主導」の町おこし、温泉再生に大きな期待がかかっている。
野崎 勝弘