デビュー25周年で再結成、メロン記念日の軌跡「ハロプロのお荷物グループが伝説に変わった日」
最後まで同じ4人だったのは“運命”
──どのタイミングで、『This is 運命』の反響を感じましたか? 斉藤 2002年12月に4都市を回ったメロン記念日ファーストコンサート「これが記念日」です。それまで掟ポルシェさんを始め、DJ界隈の方々が面白がってくれて、プチバズり的な感じでじわじわ広がっていたんですが、私たち自身は実感がなかったんです。 ところがファーストコンサートで初めて『This is 運命』を歌ったときに、いきなりダイブ・モッシュが起こったんですよ。「人が人の上にいる!」「人が空を飛んでいるけど何が起こっているんだろう」と、これまで見たことのない光景が繰り広げられていたんです。そのときに、この曲のすごさを実感しました。 柴田 関係者の皆さんも、私たちを見ないで、お客さんに目を奪われていましたからね。 村田 想定外の盛り上がり方だったので、「こっちがステージだから私たちを見て!」という想いでパフォーマンスした記憶があります。 ──それからは、どのライブ会場でも同じような盛り上がりを見せたのでしょうか? 柴田 それもありますし、私たちも煽っていた部分があったと思います。ヲタモダチ(※メロン記念日のファンの総称)もモッシュやダイブが起きるような曲調じゃなくても、とりあえずやるみたな(笑)。時にはペットボトルが飛んでくることもありました。 村田 お客さんの盛り上がりもあって、相乗効果でメロン記念日のライブが出来上がっていったのは間違いないです。それが後のロック路線に繋がっていきました。 ──メロン記念日の活動期間は約10年と、当時としては長期にわたっています。長く続いた秘訣は何でしょうか? 村田 民主主義だったからでしょうか。誰か1人が引っ張るのではなく、それぞれの意見は持ちつつ、リーダーの斉藤がまとめてくれていて。姉妹のように横一線でやっていたのが大きかったと思います。 柴田 私は3人のおかげだと思っています。というのも、よーいどん!で全員が同じスタートで走り始めたものの、途中から私のパートが明らかに多くなって、ソロで雑誌やテレビに出たり、写真集を出したりと差が明らかだった時期があって。そのときに3人が私に対して理解があったのが大きかったですね。 やっぱり悔しかっただろうし、いろんな感情が生まれたと思うんですけど、それをちゃんと理解してサポートしてくれたんです。3対1にならずに、ソロでも「いってらっしゃい!」と送り出してくれたのが、10年続いた秘訣だと思います。 斉藤 結局、「仲が良かった」に尽きるのかなと思います。プライベートだったら交わることのなかった4人がご縁をもらってメロン記念日として1つになって。似たもの同士が集まっていたらぶつかっていたのかもしれないけど、その調和が上手くいったんですよね。10年間、最後まで同じ4人だったのは“運命”だし、一生の誇りに思います。 (取材・文/猪口貴裕) ▽メロン記念日 1999年に「第2回モーニング娘。&平家みちよ妹分オーディション」の合格者4名で結成されたアイドルユニット。デビュー当初は低空飛行を続けたが、今もハロー!プロジェクトで歌い継がれる名曲『This is 運命』によってブレイク。ライブ会場はダイブやモッシュが起こり、「楽器を持たないバンド」と称されるほどエモーショナルなライブパフォーマンスで愛され、2010年5月3日に解散。2025年にデビュー25周年目の節目を迎え、大谷雅恵を除く3名で再結成を発表した。 メロン記念日&スタッフ公式X:@melonkinenbi25
猪口 貴裕