三輪山の神様からの贈り物 ササユリ酵母の日本酒
「うま酒 三輪の山 あをによし 奈良の山の 山際に い隠るまで 道の隈 い積もるまでに つばらにも 見つつ行かむを しばしばも 見放けむ山を 情なく 雲の 隠さふべしや」 三輪山から上る朝日(大神神社提供) 大和の地を離れることになった額田王は万葉集で、おいしい酒ができる三輪山(現在の奈良県桜井市)への惜別の思いを詠んだ。時代を超え、今ここに咲くササユリの花酵母で仕込まれたお酒があるのを、ご存じだろうか。 三輪山をご神体とする大神(おおみわ)神社には、日本で初めてお酒がつくられたとの神話が残り、杜氏(とうじ)の先祖とされる神様が祭られる。お酒の神様として、長く酒造りに携わる人々の信仰を集めてきた。日本酒の仕込みが始まる例年11月、全国の酒蔵300社余からお酒が奉納され、おいしいお酒ができることを願う「酒まつり」が広く知られるほか、新酒ができあがる頃に、ひっそりと参拝し、酒の神に御礼を伝える関係者も絶えない。 そのお酒の聖地で2011年、奈良県、大神神社、奈良県酒造組合などが新たな酵母探しに乗り出した。新緑の季節、30人ほどで大神神社の杜に分け入り、木の樹皮、葉、花などを多数採取。酵母発見に携わった奈良県産業振興総合センターによると、翌年、ササユリの花から酵母を分離することに成功したという。 ▽目に見えない力 ササユリは、神武天皇の后になった五十鈴姫命(いすずひめのみこと)にゆかりのある大神神社のご神花だ。「自然界から酒が醸造できる酵母菌が発見されることは、満天の星空から新しい星を見つけるような確率だと聞いており、(ササユリの酵母発見に)目に見えない力を感じた」(酵母採取に協力した大神神社の南博禰宜)。新たな花酵母は、多数の醸造用土器が発掘された三輪山麓の「山ノ神遺跡」(古墳時代)にちなみ、「山乃かみ」と名付けられた。 山乃かみ酵母を使ったお酒はそれ以来、奈良県内の複数の酒蔵で仕込まれている。リンゴ酸が出て、フルーティーな味わいを醸す特徴があり、奈良県産業振興総合センターの都築正男研究員によると、「これまでの菌体系とは全く種類が違う酵母菌だったため、各酒蔵で味の調整に苦労したものの、辛め、甘めとそれぞれの得意なところを生かした(多彩な)味わいが生まれている」そうだ。 ▽新酒知らせる丸い杉玉 日本最古とされる大神神社は、ご神体の三輪山に抱かれた自然の宝庫。「もともと日本の神は、自然界のあらゆるもの、美しい山、海に浮かぶ島、滝、大木や一枚岩などに宿ると考えられ、そこで祭りが行われてきたが、大神神社は今もその形を残している貴重な存在」(南禰宜)。他の多くの神社で本殿にご神体がお祀りされるようになったなかで、古代から受け継がれた姿を保つ。 全国津々浦々の酒蔵や酒屋の軒下に下がる杉玉も、大神神社のご神木である三輪山のスギの葉を丸く束ねた森の恵みだ。11月の酒まつりで作り替え、全国に発送する。新調されたばかりの青々とした杉玉は、新酒ができた合図。起源は室町時代にさかのぼるといい、丸い形にするのは、「酒も丸く、まろやかなおいしいものになるように、という考え方からではないか」(南禰宜)という。 かつて三輪山に多数自生したササユリは戦後、里山の環境変化や動物の被害で激減したが、地元の篤農家らでつくる「笹百合奉仕団」の植樹により、境内に花園が蘇った。200~300株が5月下旬から咲き誇り、6月には、そのササユリを神輿で運び、五十鈴姫命を祀る奈良市の率川神社に奉献する「三枝祭」が行われる。 神前に供えられたササユリは露をしたたらせ、輝く。まるで、神様の贈り物のようなササユリのお酒について、都築さんは「大神神社を思い浮かべながら、楽しんでもらいたい」と話す。 奈良県はこれまでに、ササユリ、シャクヤクなど清酒向けの酵母のほか、奈良県独自の酒米開発にも着手。品種登録に動き出したところだ。来年以降はいよいよ、奈良発の酵母、酒米の両方を使って仕込んだ日本酒が登場するかもしれない。