「猫派の一条天皇」飼い犬に命じた“恐ろしい処罰” 中宮や清少納言も同情した「翁丸」の悲しい逸話
「やっぱり翁丸では」「いや、そんなはずはない」といったような状況で、人々の意見は二分します。このままでは収拾がつかないので、中宮が「右近ならばわかるだろう。右近を呼んでおいで」との提案をされました。 呼び出された右近は、翁丸か否かの鑑定を任されることになります。体が腫れ上がった犬を見た右近は「翁丸に似てはいますが、あまりにみすぼらしい。それに翁丸なら呼べば、喜んで飛んでくるはずです。この犬は呼んでもやって来ない。どうも違うようですね。蔵人から、翁丸は打ち殺して、死骸は捨てたとの報告もありました。男が2人で打ちのめせば、命は助からないでしょう」との鑑定をくだしました。
それを聞かれていた中宮は眉をひそめ(酷いことを……)と悲しんだご様子だったようです。 日が暮れてから、その犬に食べ物を与えようとしましたが、犬は食べませんでした。そのため、女房たちもその犬は、翁丸とは別の犬ということにしたようですね。 翌朝、中宮が髪をとかしたり、顔を洗っていると、その犬は庭先の縁の柱のところにうずくまっていました。 その様子をご覧になった中宮は、翁丸を思い出し「本当に可哀そうなことをした。今度は何に生まれ変わったのでしょう。打たれて死ぬときは、どんなにつらかったことでしょう」と仰せになりました。
■涙を流した犬の姿に、清少納言は確信する すると、その犬が、体を震わせて、涙を流すではありませんか。清少納言はその様子を見て、驚きます。(やはり、この犬は翁丸だったのだ……)と確信したようです。 同時に、昨日の夕方は、自分の素性を隠していたこの犬を、賢いとも感じたようです。「翁丸か」と呼びかけると、犬は地に伏して、大きな声で鳴いたとのこと。中宮もほっと一安心、声を上げてお笑いになったとのことです。
帝も「犬もこれほどの分別があるのか」とお笑いになり、二度と流罪を命じられることはありませんでした。翁丸が生きていたとの情報は、当然、蔵人にも入ります。蔵人の忠隆は「翁丸が帰ってきたとは本当か。検分させてもらおう」と言いましたが、清少納言は「そのような犬はおりません」と断固拒否します。そんなこともありましたが、帝のお怒りもとけて、翁丸はもとの身分に戻ったのでした。 (主要参考・引用文献一覧) ・石田穣二・訳注『新版 枕草子』上巻(KADOKAWA、1979)
・渡辺実・校注『枕草子』(岩波書店、1991)
濱田 浩一郎 :歴史学者、作家、評論家