入国管理局の個室で続いた尋問「もうダメだ…」 突きつけられた現実、へし折られた自信【インタビュー】
Jリーグ時代に持っていたスピードへの自信「全く通用しなかった」
いまや200人を超える日本人選手がプレーしている欧州に、15年前、果敢に挑んだ男がいた。元ジュビロ磐田、べカルタ仙台の太田吉彰氏は2009年7月、海外でのプレーを夢見て単身、海を渡った。5か月間のうちで受けられた入団テストは3クラブだけ。その1つが渡欧後1か月ほどで入団テストに漕ぎつけた当時フランス2部のル・マンFCだった。(取材・文=福谷佑介) 【写真】入国審査で尋問も…太田吉彰氏の現在の姿 ◇ ◇ ◇ 2009年7月に磐田を契約満了で退団し、ヨーロッパに渡った太田氏だが、入団テストのオファーすらなく、フランクフルトで1か月ほど過ごした。マインツにある8部のクラブに週2、3回程度、練習参加をさせてもらいながら、懸命に調整していた。ようやく決まった最初の入団テストは、2004年から2008年まで松井大輔氏がプレーしていたフランスのル・マンFCだった。 松井氏が5年間在籍していただけあって、ル・マンFCは選手もクラブスタッフも日本人に対して温かかった。「最初の1週間ぐらいがテストだよって言われました。僕以外にも毎日のように新しいテスト生がいたのを覚えています」。アフリカ系選手が多いフランスリーグのクラブ。下部のチームだったものの、初めて受けたテストで太田氏は「正直、やれるだろっていう自信が失われました」と衝撃を受けた。 ジュビロ磐田でプレーしている頃からスピードが武器だった太田氏。下部チームには自分よりもはるかに若い18歳、19歳といった選手たちがいたが、圧倒された。 「足の速さは自信があって、日本ではそう簡単に負けないぐらいのスピードもあったと思うんですけど、全く通用しなかったんですよね、速さも身体能力も。膝の怪我でスピードが多少落ちた可能性もゼロではないですけど、もう本当に足は伸びてくるわ、身体を入れられるわ、スピードも互角どころか向こうの方が速いんじゃないかみたいな状況で『うわ、これきついな』って感じました。今、伊東純也くんとか、中村敬斗選手とかもちろんほかの選手もそうですけど、やれてることが信じられないです」 1週間ほど行われたテストの結果は不合格。ル・マンFCから契約できないことを伝えられたものの、その後も下部チームの練習に参加することは許可された。言葉も通じない10代のアフリカ系選手が車で送り迎えをしてくれ「何歳か分からず、年齢的に運転できるのかな」と不安に思うこともあった。練習すれば、若い選手のスピードに度肝を抜かれ「全然通用しなくて、現実を思い知らされた」という。練習中も言葉が分からず、四苦八苦。ミスするたびに練習が止まり「周りがイヤな顔をする。『なんだコイツ、分からないのか』みたいな」。日本を発つ時にあふれていた自信は失われ始めていた。