統合失調症の姉を南京錠で監禁した両親。“家族という存在”を20年追い続けた監督の「真意」
字幕を出さなかった理由
――編集におけるこだわりについてもう一つ伺いたいのですが、先ほど「テロップを入れない」とおっしゃっていましたが、字幕もほとんど付いていなかったと思います。ところどころ聞き取りづらい部分もありましたが、その判断をされた理由は? 藤野:プロの音声スタッフがガンマイクを使っているわけでもなく、カメラの内蔵マイクで録音しているので、音の解像度はあまり良くないです。1人で撮影していたので、あれ以上のクオリティを出すのは難しかったですね。ただ、今回の公開にあたって川上拓也さんというプロの音響技術者に整音をしていただいたので、山形で上映したときよりは改善されていると思います。 字幕を出さなかった理由ですが、字幕を出すと観客がどうしてもそれを読んでしまうんですよね。もちろん、言葉が理解できるに越したことはないのですが、映像の中には言葉以上に多くの情報が詰まっているんです。字幕を出すと、視線が画面の下に集中してしまい、映像そのものへの注目が減ってしまうという悩ましさがありました。とはいえ、冒頭では字幕を入れました。 ただ、姉が話している場面で字幕を付けても、観客には理解しづらいだろうと思います。主治医の方が「言葉のサラダ」と表現していたのですが、姉の話す言葉は関連性のない単語やフレーズが繋がっていて、文章として意味が通じないことが多かったんです。そのため、字幕を付けてもあまり効果的ではないと判断しました。
帰省したら「ピザの箱が50箱も出てきた」
――シーンではイカリングなど、食事のシーンがとても印象的でした。 藤野:そうですね。わりとご飯を作っているところは撮影していましたね。実は、母が父よりも早く認知症の症状が出始めたため、料理を作れなくなってしまったんです。それで父が料理を作ったり、簡単な惣菜やお弁当を買ってきたりしていました。 ただ、これもある種の認知症の影響だと思うのですが、実家に帰省したとき、父が物を捨てられなくなっているのに気づいたんです。姉がピザ好きだった影響もあるのか、帰省したらなんとピザの箱が50箱くらい出てきました。捨てればいいのにと思ったんですが、何かに使えると思ったのか、それらをしまい込んでいたんです。とても驚きました。 ――藤野さんは一度住宅メーカーに勤務されてから、日本映画学校に入学されています。ある意味では安定を捨てるような大きな決断だったと思いますが、なぜ踏み切れたのでしょうか? 藤野:実は大学4年生のとき、アニメーションのスタジオなどを受けたことがありました。でも、実写映画に挑戦する自信はなかったし、ドキュメンタリーもよくわかりませんでした。ただ、絵を描くことが好きだったので、自分に一番向いているのはアニメーションかなと思い、いくつか挑戦しましたが、1次選考で全て落ちてしまったんです。それで、「もう映画やアニメの仕事をすることはないだろう」と思い、すべて諦めるつもりで就職しました。 神奈川方面の会社に就職し、営業の仕事をしていましたが、ある日、お客様のところに向かう途中で偶然、日本映画学校の前を通りかかったんです。そのとき、「自分には無理だろうな」と思っていたものの、営業の仕事が正直しんどかったこともあり、思い切って願書をもらいに行きました。実家のこととは関係なく、「映画の仕事に関わる道があるのではないか」と考え、専門学校に通う決断をしたんです。