川勝平太・静岡県知事に聞く(全文1)日本の人口停滞は平和な時代に起こる
それからもう一つ、離婚が増えるんです。江戸時代の後半にいわゆる三行半(みくだりはん)というのが乱発されるわけです。三行半というのは、夫なにがしが妻なにがしを離縁して、以後一切構わないと、そう書いてあります。だから何となく、主人が嫁さんを追い出したかのごとくに書かれているんですけれども、それは書式であって、その後どうなったかということを研究した人がいて、高木先生(※高木侃・群馬県太田市立縁切寺満徳寺資料館名誉館長)という方ですけど、大変興味深いことを発見されました。 「逃げた女房にゃ未練はないが、なぜか涙が流れてやまぬ、男心は男でなけりゃわかるものかと諦めた」なんて「人生劇場」の歌にありますけれども、要するに、男は未練がましく全然だめなんですよ。ところが女性は、つまり前夫は一切構ってはいけないということですから、あとは自由に再婚したりして、自由奔放に生きているわけです。だから、この離縁状というのは再婚証明書だと、再婚許可証だというふうにとられていると。 それまで江戸時代の初めは大体人口が、鬼頭先生によれば千数百万ぐらいですね。途端にそれが3000万になる。1600年から1700年の間に、一気に3倍弱増えるわけですね。その後、長い天下泰平の時代が続きます。女の人が歌舞、音楽とか花見に行って、平和なんです。人口が増えないんです。明治時代まで3000万ぐらいです。つまり人口停滞の時代は、女性が思いっきり生を、生活を楽しんでいる時代だということが、少なくとも平安時代と江戸時代で出てくる。ここのところは鬼頭先生もおっしゃっていないわけですけれども。 私は、そういう時代を念頭に置きながら現代を見ると、明治維新以降、日本の国是は富国強兵になるでしょう。一生懸命、国力を上げて五大列強に対峙しようと、五大列強の一つになろうということで、英米仏独とかと対抗してやっていこうと。そうすると、どんどん人口が増えていって、「産めよ増やせよ」というわけで、女性の活躍の場というのは、あまり感じられない。むしろ女性の人権はどうなったと、古代の女性は太陽だったのに、一生懸命、男性中心の社会に対して闘わなくちゃいけなくなって。 戦後はもう戦争はこりごりだ。ということで経済。経済では企業戦士といわれて、家には寝に帰ってくるだけだ、となったわけでしょう。しかし、戦後が終わった、といわれて、だんだんと世の中は、「日本は平和だ」、「平和憲法に守られている」という意識が広がりまして、そうしているうちに、「娘は適当なときに嫁に行くのがよろしい」と。私なんか団塊の世代で、そのころ優秀な女子学生が男女共学で育っていましたけれども、大体、中卒ないし高卒で、4年制の大学に行くなんてとんでもない。「嫁に行けない」というのが殺し文句ですよ。